野上暁さんの出版を祝う会
『子ども学 その源流へ』を上梓された野上暁さんのご出版をお祝いする会に参加してきました。編集者さんや作家さんなど錚々たる顔ぶれで、久しぶりの方にもお目にかかり、楽しいひとときを過ごさせていただきました。ワインバーで思わずワインを飲みすぎたかも
縄文時代からライトノベルまでつなげていく、野上さんならではのすばらしいお仕事、本当におめでとうございました。これからのご計画もいろいろあるようで、ますます楽しみです。
『子ども学 その源流へ』を上梓された野上暁さんのご出版をお祝いする会に参加してきました。編集者さんや作家さんなど錚々たる顔ぶれで、久しぶりの方にもお目にかかり、楽しいひとときを過ごさせていただきました。ワインバーで思わずワインを飲みすぎたかも
縄文時代からライトノベルまでつなげていく、野上さんならではのすばらしいお仕事、本当におめでとうございました。これからのご計画もいろいろあるようで、ますます楽しみです。
3月にご高著を拝受しました。大人が作った制度や思想から、何かの対象としてみるのではなく、暴力的でもあり不定的でもあり、洞察力と未熟さを併せ持ち、時代を鋭敏に身体化する「ありのまま」の存在として子どもを見ようという意識が、まさにオーラとして立ち上ってきます。佐野美津男が提唱した「子ども学」を踏まえたうえで、古代から現在まで、日本で子どもがどう見られてきたか、子どもがどうふるまってきたか、子どもという総体ではなく、事象のひとつひとつから、日本人にとっての子ども観を追求しています。答えが先にあるのではなく、それを「知ろう」とする野上さんの意識そのものに圧倒されました。遺跡や埴輪、各地のお祭り、また、性と子どもがいかに密接であるかなどのお話を伺ったことがあるのですが、その断片がこの本の中で有機的につながりあい、野上さんの立ち位置を伝え、まさに、子どもをめぐるリアルを探ろうとされたことがよく分かります。「児童文学評論」に連載している、私のごく個人的な子どもとの絵本読みの記録を野上さんが買ってくださるのは、なんの先入観も結論もなく、定点観測的に子どもの本読みを見ていこうというあたりの意識が似ているせいかなと、恐れ多いことですが、考えてしまいました。
第1章 「子ども学とは何か?
「子ども学」の誕生/「子ども」とはだれか/子どもは発見された?/子ども学がめざすもの
第2章 「子ども社会の歴史」
古代社会の子どもと暮らし/万葉集に見る律令制度下の子ども/描かれた中世の子どもたち/近世の家族と子どもの発見/江戸期子ども絵本の誕生/手習塾と江戸の教育/江戸の子ども遊び/性をめぐる大人と子ども
第3章 近代子ども観の変遷
学制公布と学校教育の普及/国家主導による学校行事の徹底/学校中心の子ども社会の形成/文明開化の子どもと遊び/明治期東京下町の子ども世界/変容する小学校教育/富国強兵と子ども雑誌/近代子ども観の誕生/文学者が描いた子どもの姿/正岡子規の教育観/大正童心主義の光と影/プロレタリア児童館の展開/戦時下の子どもと文化
第4章 現代子ども社会の変容
戦後児童文学の出発点から/戦後民主主義と子ども雑誌/マスコミ時代の子どもたち/高度成長期のメディアと遊び/変容する子ども文化/挑発する子どもたち/密室化する子ども空間/情報化社会の子どもたち
第5章 子ども学で現在を読む
メディアの中の子ども/幼児の美意識と想像力/遊びは暴走する/暴力をとらえる視点/子どもと性の民俗学/子どもと死のイメージ/学校文化と子ども文化/文化創造者としての子ども
※小見出しには本来、番号が振ってあります。
まさに野上さんの集大成とも思える1冊です。縄文の子ども観や近代が持ち込まれたときに日本という国家が子どもを見る目がまるで変わったこと、戦争を経て(山中恒さんの『ボクラ少国民』との絡みも迫力)、高度成長時代に消費者として対象化されたことなど、「子ども」の通史として必読でしょう。ごく個人的な体験からあえて出発しての、子どもと性の考察、それに関して『たけくらべ』の話もおもしろかったです。
子どもが事件を起こすとゲームやマンガの悪影響などが取りざたされますが、それは「大人社会の固定観念と新しく登場してきた文化に対する、一種の身構えと恐怖心」(214)であり、どう考えてもリアルになりっこないこと、たかがゲームやマンガくらいで大人はうろたえてはいけない、というあたりの口調、そして、しかしながらそれを踏まえた上で、仮に虚構と現実が混同される可能性があるならば、「幼児期の物語体験を通しての、非現実体験の乏しさが影響しているといえるのではないか」(214)というところにも、思わず背筋を伸ばしたい気持ちにさせられました。
野上さん、ご出版本当におめでとうございました。
お聞き及びと思いますが、今、大阪国際児童文学館と府立図書館との統合問題が持ち上がり、存続を求める署名運動が起きています。統合されることで、貴重なコレクションが散逸したり、講演会や海外研究者の招聘などの活動ができなくなったり、児童文学のプロフェッショナルによるレファレンスが期待できなくなったりします。
ひこ・田中さんのサイト「児童文学書評」のトップ
http://www.hico.jp/に、詳細や存続要望署名書、府知事へのメール案内などがあります。
→署名を送ってくださる方は上記よりダウンロードし、4/10をめどに「大阪国際児童文学館を育てる会」にお送りください。
育てる会事務局
564-0072 大阪府吹田市出口町34 C5-103 野々上律子様方
→府知事に物申してくださる方は「知事への提言」でご意見をお願いいたします。
http://www.pref.osaka.jp/j_message/teigen/tijifmt.html
宮本大人さんのブログにも詳しいです。
http://d.hatena.ne.jp/hrhtm1970/20080325/1206436861
性急に結論を出そうという橋本知事のやり方もパフォーマンスのようにしか見えません。大阪府として日本の子どもの本の財産を、心を尽くして守るべきでは?
IRSCLのMLにも正置友子さんから以下のメールが送られました。外国人研究者にとっても、日本の子どもの本の研究にあたって、まずコンタクトを取れる機関です。府立図書館にそれができますか?
--------一部引用 from here(IRSCL ML 30/3/2008)
I urgently want to ask you for your support to maintain the International Institute of Children’s Literature, Osaka. Some of you may have visited the IICLO last August for the 18th Congress of IRSCL in Kyoto. The Institute houses a sizable amount of the first class materials in its independently operated building surrounded by the peaceful scenery of the park. It has been serving researchers around the world as well as children in Osaka. We have been proud of having and supporting the Institute for more than twenty years. However, in recent times the institute has been experiencing trouble.
The newly-elected governor of Osaka prefecture is planning to close the Institute at the present site and move the materials to the Osaka Prefectural Library, just an ordinary library. The governor says, ‘we don't need IICLO; one ordinary library is enough for people in Osaka, because we do not have enough money’. If this is carried out, we lose IICLO itself: the materials will be scattered in the big library building; users wouldn’t get any services from specialists of children’s literature; there will be no international conferences of children’s books; no invitation to foreign researchers; no events such as Kamishibai, Puppet Show, and Play for children. I hope many emails will change his mind and keep the Institute as it is.
-------------------------------end here
取材で、鎌倉にある「ソングブックカフェ」に行ってきました。中川ひろたかさんのお店で、奥様が切り盛りされています。大きなテーブルが真ん中にあって、まわりをぐるっと本棚。由比ガ浜通りに面していて、平日午後なのに、いろんな年齢層のお客さんが見えていました。All Aboutにゴチになりましたプリンと自家製ジンジャエールも、とてもおいしかったです。記事は3月中にアップをめざします。
終わった後に駐車スペースの横にお宝発見。というか、カメラマンさんが「さっき、この写真を撮りにきていた人がいましたけど、やっぱ、これって、見る人が見ると萌えなんですよね?」と。私も自分のカメラでばしばし。だって、ももんちゃんですよ。にしまきかやこさんですよ。あさたろうですよ(鼻息荒く)! マニアに、この枠ごと持ってかれないといいなあ、といらぬ心配をしてしまいました。お店では中川さんとお仕事をされた画家さんの作品がギャラリーで販売されているのも珍しいこと。そして、この「自由な絵」も画家さんがいらしたときに描いていかれたもののようです。いいものを拝ませていただきました。
お土産にパンとピンバッチを買いました。ピンバッチは東君平さんや柳原良平さんのものなど色々ありましたが、自分がつけたいことで、どいかやさんのものに決定!チリリのやさしさと微妙な和風がナイスマッチでした。

『火を喰う者たち』(ディヴィッド・アーモンド、金原瑞人訳、河出書房新社、2005.11)
やっとこさ読みました。ああ、そうか。キューバ危機のときというのはこのように、今、それが終わり「歴史」でしか見ていないところからすれば、それは「回避された危機」のバイアスがかかるけれど、当事者はこのように祈り、あるいは自棄になり、あるいは狂気と絶望をおのれの身に象徴化させていたのか、と得心しました。マクナルティーはたしかに強烈なキャラクターでしたが、むしろ、静謐さを感じました。やっぱりここでもカトリック。神との対峙という真の宗教性と、カトリック学校の父権的な権力構造の二重性は、意外にアーモンドのテーマなのですね(セイクリッド・ハート。聖心と訳せなかったのも分かります。日本では文脈が違いすぎ)。身体性はここでもあらたかでした。エイルサと化学の先生の描き方にやはり男性性を感じました。ふむ。
そうそう、fire eatersと複数形になったときに「私」がまきこまれる感じ。嫌いではありません。
All Aboutの記事をアップしました。「アース」に触発されて環境の絵本です。知識に傾くので、ありそうで意外に多くないなあと思いました。子どもには、脅かしすぎずに「考えさせる」ほうに持っていかないと、ただただ不安になってしまう部分もあり、さじ加減が難しいです。
次年度のことがほぼ決まり、教科書とか予習とか考えます。来年から行くC大学では、かなり自由に組み立てさせていただけるようなので、Readingの授業に児童文学も使おうと思っています。多読の教材に、絵本やGrader ReadersでいうところのEasy Startの本を選んでリストアップしてみたら楽しくて、夜更かしになりました。C大学では、プレゼンを中心にした授業も見学させていただき、私も勉強になりました。
今年よりもコマが増えるので、また家族会議が必要になるでしょう。今年度、週に1日、幼稚園のお迎えをお願いしているファミサポさんも、週に2日でお願いできるといいのですが。来年は幼稚園児が2人で、自転車三人乗りもマズイので、遠回りな電車通園になりそうです。
http://www.cinemablend.com/new/First-Where-The-Wild-Things-Are-Images-7158.html
Where the Wild Things Are の実写版ということで、スチールを見てびっくり。でも、かいじゅうたちの背中の微妙な哀愁はいい感じかもしれません。公開はいつなのでしょう。
先日、銀座に行ったついでにナルニア国に行きました。例年のドイツのクリスマス市がなくて「なーんだ」とさびしかったのですが、行ってみるとエレンカイムでの、宗教性あふれる本当のクリスマスグッズのコーナーも良かったし、ダウンズの原画展もよかったし(Tさんに『ゆめみる天使たち』を、サンタから用に購入。Tくんには機関車の復刻絵本を買いました)、6階から1階まで順番に降りていくスタンプラリーで、教文館特製銀座マップ(300円)のクリスマスプレゼントをもらったり、もちろん、ナルニア国でコーナーになっているクリスマス絵本のいずれも素敵で、行ってよかったなあと思いました。こういう宗教的なお店のクリスマスを見ていると、クリスマスというのは、その宗教的な意味ではなく、その行事に心を傾ける「人」の気持ちに感動するのだなと思います。
親になり、サンタクロースができるのは幸い。Tさんの希望は今のところ、指輪(以前に末吉さんのお宅のフリーマーケットで頂いたなぞのアクセサリを指輪にして遊んでいたのですが、小さいゆえになくしてしまい、また、もともとはイヤリングのかたっぽのような形状でした。で、お願いしているのが「指輪」。あら、お母さんもほしいわ、なんて)です。Tくんはなんだかよく分かっていませんが「ぼくはえほんがほしい」とのことで、お安い御用。気ぜわしいばかりでなく、ちょっとしたスパイスを楽しまなきゃなー、…と言っている時点で、せいてばかりなのですが。
先週の土曜日、同人誌『鬼が島通信』の25周年/50号記念パーティー@銀座に出席してきました。たくさんの作品が『鬼が島通信』で連載され、本になり、賞をとったものも多数あり。ゆるやかに変化しつつも、この「場」を続けてこられた同人の皆さんをただただ尊敬するばかり。毎号、楽しく読ませていただいて(アンケートも光栄なことに書かせていただいて)います。パーティーは大変なにぎわいでした。節目のときに開催されるそうですが、私は初めてでドキドキでした。でも、お久しぶりの方にお会いしたり、はじめましての方にお会いしたり、通信の創刊号を拝見したり、あっという間の2時間でした。皆様、おめでとうございました!
『虫めずる姫の冒険』(芝田勝茂:作、小松良佳:絵、あかね書房、2007.10)
タイトルだけは以前に芝田さんに伺っていたので、出た♪とうれしく手に取りました。平安時代の京都を舞台にした、虫めずる姫こと按察使の大納言の娘、秋津子の、ハラハラドキドキの物語です。多少は地理感覚のある京都のあれやこれやを思い浮かべながら、人間と人間ならざるものがきっと本当に同居していたであろう1000年昔を思いました。虫めずる姫というのは、作家のイマジネーションを刺激する存在のようですが、この話の姫君は、虫が好きという以上に勇気があってやんちゃでユーモアがあり、とても魅力的なお嬢さんでした。パパの大納言はもしかして芝田さんかしら。宗教のこと、貴族の暮らしの一端、平安京をリアルタイムで見ているような楽しさもありました。この終わり方は(!)、続きがきっとあるはず。シリーズで続いていくのを楽しみにしています。
『本の妖精リブロン』のエントリーのコメントで末吉さんからコメントを頂き、本の世界に入るとしたら、どの本がいいか、という問いをいただきました。むー。本当に、本当に、生まれて一度も考えたことがなかったので、軽く衝撃でした。「本の中の人物に会いたいな」というときは、本から人が出てきて、こちら側の世界に来ることであり、こちらから行くという発想は、本当にまったくなかったので。
考えてみました。ある時期までの私だったら、赤毛のアンの世界だったと思います。プリンスエドワード島、という響きじたいを大変なきらめきをもって味わえたころ。でも、実際にアンのまわりの世界で暮らせるか。んー、考えていくと、本当にそれだけで失敗ばかりのドジが愉快な話ができそうです。きっとアンのドジどころではないでしょう。「今」行くのだったら、それなりに女の共同体でもうまくやっていけそうです。
ツバメ号とアマゾン号も冒険は最高です。だけど、それは、もしかして有閑階級の子どもの贅沢な夏の遊びへの憧れに過ぎないのかも。キャンプのきらめきは、大人になった今だから感じることであって、子ども時代にあの世界に行っても、船のことなど何も知らずに怖がり、途方にくれていたかもしれません。4人があたたかく迎えてくれさえすればうれしいですが、きょうだいの結束が固そうです。メアリー・ポピンズの世界は好きですが、彼女はおっかないので特に会いたくないし、百町森は私ごときが出かけて壊したくないし。ライラの冒険もわくわくしますが、私なんて、あっという間に死んでしまいそうです。
ああ、そう考えていくと、翻訳ものには人一倍親しんできたものの、子どものころに、自分がその世界にいることをリアルに想像できたのは、たしかに日本の作品でした。ひとつは『だれも知らない小さな国』。あの小山や小川の水の冷たさ、流されていく赤い靴、小人の気配にいたるまで、私はその世界に自分がいることを想像し、コロボックルに会ってみたいと強く思ったものでした。それから『窓際のトットちゃん』。お話ではなく実話ですが、実話だけどお話のようなものでしょう。小学校3年か4年で何度も読み、母に「私もトモエに行きたい」と泣いて訴えたのを思い出しました。あれはリアルな経験でした。小学校の先生に特にハズレたとは思いませんが、いい学校だとも思えませんでした。ごく普通の小学生。皆勤だったにもかかわらず、私は保育園も小学校も暗い時代でした。4年生が始まる始業式のときに「まだ半分もあるのか」とうんざりしたのを覚えています(だから、学生になり、大人になり、結婚した今のほうがよほど楽しく自由なのですが)。まあ、これも、本の中に入りたいというよりはトモエ学園にアトラクトされたたためなので、少し方向性が違う気もしますが…。でも、本の中に手触りを感じ、「お話」として楽しむのではなく五感で感じるのに「日本」というネイティブ感覚が私のもあったのかと発見して、いまさらですがびっくりしています。
今、本の世界に行くのなら。穏やかな絵本の世界をのぞいてみたいです。『もりのなか』の木陰に隠れて、ぼくたちの行進を見たり、『こよみともだち』の12の月のクリスマス会におじゃましたり。なんか安全第一みたいになってしまいましたが…。
『本の妖精リブロン』(末吉暁子、あかね書房、2007年10月)
ご高著を拝受しました。東逸子さんの素敵な挿絵がふんだんに盛り込まれた中篇です。小学校4年生のアミは本の虫。田舎から都会に引っ越してきた転校生で、本がふんだんな図書室に大喜びします。と、そんなアミの前に、しおりひものようなしっぽをもち、薄い羽のある小さな男の子の妖精リブロンが現れます。リブロンは、次の満月までに本好きの子に20冊の本を読んでもらわなければ栞にされてしまうとか。その代わり、読み終えれば、素敵なごほうびがあるのだといいます。アミは張り切って読書を始めますが、考えごとが多くてはかどりません……。
コーヒーを飲みながら、末吉さんの読みやすい語り口に引き込まれ、アミのとまどいの淡い初恋心や新しくできた友達のチカとのやりとりを楽しく読みました。私も「本の虫」と言われていた小学校のころを思い出しましたし、それからデジャブを感じたのは、宮崎アニメの「耳をすませば」。←年齢も高いし、図書館の果たす役割も違うし、チカのお兄ちゃんとアミがお付き合いをするわけでもないのですが、なんとなくキュンとする感じ(?)に似たものを感じて。図書室に理解ある女の先生っていうのもいいですよね。私の小学校には、そんな気の利いた先生はいませんでした。「鈴木さん、本ばかり読んでないで、校庭で(子どもらしく元気に)遊びなさい」なんていわれたこともありましたし。
そうそう、実際、本の中で肝心なのは、首尾よく20冊を読んだアミとリブロンが飛び込んでいくお話の世界です。アンデルセン童話の間テクスト性を持つ(要は引用している)お話で、村上勉さんが絵を書かれた『きょうはへんなひ』も思い出しました。そのお話へのコミットが、「その世界に飛び込んでいくというお話になる」というのが創造のおもしろさ。末吉さんからアンデルセン童話への愛情が伝わってくる気がしました。
たくさんの本好きの子に読まれるといいなあと思います。末吉さま、ご出版おめでとうございました。
『だいすき、ママ!』(マーガレット・ワイルド ぶん、スティーブン・マイケル・キング え、さんべりつこ やく、主婦の友社、2004/2007.9)
ご高著を拝受しました。テーマも絵も、とてもすてきな絵本です。農場ではぐれたコブタが「ぶひー」と鼻をならしながらママを捜しにでかけます。アヒルもヒツジもロバもみんな親切で、コブタに、だっこしよう、遊ぼう、首飾りを作ってあげよう、と誘ってくれますが、コブタは「ママじゃなくちゃいやなの。」 ぶひーと泣くコブタを、やっと見つけたママは、コブタをぎゅうと抱きしめ、動物たちが提案してくれたいろんな遊びを一緒にします。
コブタを見つけたときのママの表情と、しかっと抱き合う2匹の絵、それから、そこから続く2匹の甘い甘い親子の時間が最高です。いいなあ、ママと鬼ごっこ、ママとダンス、ママと日向ぼっこ。今はTくんのほうがはまる感じの絵本です。コブタの感じも、ちょうどTくんに似ているような。律子さま、ありがとうございました!

8月25日から29日までの5日間、準備と後泊を入れて1週間の学会が終わりました。プレ大会の準備から3年以上、この数ヶ月は本当に純粋に体力的にしんどかったのですが、会がはじまり、プログラムが進み、おかげさまで大成功のうちに終わりました。準備も本番も、私とは比べ物にならないくらい大変な重荷をになわれていた方もいます。野球ならナイン、サッカーならイレブン、この実行委員会はセブンティーンでしょうか。互いの持ち味をフルに出し切りつつ、調和もあり、すばらしい中に入れていただいて、学術的学びだけでなく、多くのことを教えていただきました。最後のバンケットでは、実行委員長が一人一人を、どのような役割を果たしてきたか、係の名前とともに紹介してくれて、拍手を受け、なんだかとても報われた気がしました。千秋楽みたいに。
5日もある大会だと観光で抜けたり、さぼったりということが往々にしてありますが、今回は最終日の午前中の講演も、また午後のセッションにもしっかり人がいたし、プログラムじたいにきちんと参加して満足された参加者が多かったこと、また、裏方のほうでお世話になった会館の方やコンファレンスパートナー、同時通訳会社の方などにも、熱気を感じるよい大会で、また参加者のモラルや意識も高く、いつになくすばらしかったという言葉もいただきました。この領域の学会にはめずらしく、ポスター発表もおこなったのですが、これが大盛況の大人気。私も見に行きましたが、発表者との距離が近く、自由におしゃべりできたし、とてもよいものでした。開催数ヶ月前から検討をはじめた「託児」は、結局シッターを頼んだ方はいなかったのですが、システムとしておいたというのは画期的だったと思います。次回、2009年はドイツのフランクフルトでおこなわれますが、サイトの項目にすでに「Babysitting」が出ているのは、今回からの成果でしょうか。
仕事も抱えていったのですが、とてもそんなのをやる余裕はなく、バタンキューの毎日でしたが、講演は全部聞けたし、無事に発表もできたし、海外の方とも多少の面識ができたし、大阪児童文学館への遠足の付添も、実りあるものでした。つまり、参加する側としても、ホストする側としても、後にも先にもない5日間であり、この年でこういう没我を味わえるということがありがたいことでした。
夜は、準備の日はボードと和食、初日はレセプション、2日目は白百合の友人たちと北山のフレンチ、3日目はアニメナイトで軽食、4日目は遠足の後でホテルでお惣菜弁当、5日目はバンケット、てな感じでした。気になる、留守宅の子供たちは、なんとかがんばってくれたようです。間の悪いことに、だんなさんのアメリカ出張が重なってしまい、私の親におんぶにだっこの2日間があり、それなりに大変だったようで。こどもの国、サンシャイン水族館、東京タワーなどなど、いろいろ連れ出してくれたようです。毎日、朝か晩に電話を入れましたが、3日目くらいから「Tちゃんね、おかあさんがいなくてさみしくてむねがどきどきするの」などといわれるようになり、心だけでも東京に届けの気分でした。下の子が急に成長したような、電話口でしっかりしゃべるようになったのは驚きでした。家族を巻き込んでの一大イベントでしたが、参加者/実行委員でいられて幸せでした。皆さま、本当にありがとうございました。また、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

お昼からいよいよ学会がスタートしました。盛会で、子どもたちへの真摯な思いあふれる松居先生の講演も、ユーモアに満ちた荒井さんのお話も、とても面白く示唆的でした。たいようオルガンは、そういう絵本だったのか!とか。 朝は矢野さんと鞍馬口の志津屋へ。アンパンおいしかったです。お仕事の栄養に。

午後から準備なのでお昼はお一人様で。八百屋さんに併設されたお食事処で10種類の野菜のおばんざいプレートを食べました。なんか、身体にいいことをしている感じ。 これからがんばって働きます。

両面印刷で15ページのしおりを18人分、鋭意制作していたら、思った以上に時間がかかりました…。発表準備は後回しになり、データを2つ以上のフォームで持っていかないといけないのですが、USBはともかく、CD-Rがうまく焼けなくて、今、だんなさんがコンビニに買いに行ってくれました。
『フーフーまるがやってくる!』(末吉暁子・文、武田美穂・絵、講談社、2007年7月)
ご高著を拝受しました。がんこちゃんは、未就園児のころはよくTさんが見ていたのですが、幼稚園になるとなかなかテレビも見ることが少なく、でもこのご本は、届くや「あ、がんこちゃんだ♪」とうれしくとびついていました。「ねえ、お母さん、読んでもいい?」とソファに座って没我の境地。ああ、ふりがながふってある幼年童話はありがたいなあと思う母でした。こういうシリーズのおもしろさは登場人物と地図のおりなす世界に飛び込むことだと思いますが、見返しで見るざわざわ森や、パペットでおなじみの動物たちが武田美穂さんの絵で表現されているのを見ると、私も、ここに招待された気分になります。
ざわざわ森に台風がくるという占いで、くねくね川への遠足が延期になりそう。がんこちゃんのパパとママは、ノアの箱舟さながらの大船を作って災害にそなえるほど。でも、ワニのバンバンは、そんなのバカにするばかり。実際、最初にやってきたこども台風プープーまるは、なんともかわいい台風でさびしがって帰ってしまう始末です。でも、遠足を決行すると、今度はプープーまるのお父さんの大型台風フーフーまるがやってくるという知らせが!みんなは帰りますが、バンバンだけはそのままくねくね川に行ってしまいます。
秋口にかけての台風シーズン。がんこちゃんのパパとママが作った船は、まさに「備えあれば憂いなし」ですね。でも、ワルいはずのフーフーまる、プープーまるも、武田さんの絵になるととってもユーモラスで憎めない感じです。そう、こういう自然の猛威とも共存しての人間(?)生活なのですよね。船も、のちには遊び場になって、よかったよかった。
Tさんには「作家、末吉さん」ががっちり心に刻まれているようです。この本も、本当に夢中になって読んでいました。今も、私が書誌データを書こうと思って机のところに持ってきた本を、持っていこうとしています。本をいただいた日の夜、本当に偶然にしかし偶然とも思えませんが、夜の絵本に『きょうはへんな日』を持ってきて(しかも久しぶり)、ふしぎなつながりを感じました。末吉さん、本当にありがとうございました。
『ファイヤーガール』(トニー・アボット、代田亜香子訳、白水社、2006/2007.6) ご高著を拝受しました。白水社からのヤングアダルト向けは、好きなラインナップが多いです。
『ファイヤーガール』のタイトルになっている女の子ジェシカは、事故で大やけどを負い、皮膚移植の検査・手術・治療を繰り返しています。治療施設が変わると引越し・転校。学校も治療優先なので、欠席も早退も多いです。
主人公はトム・ベンダー。カトリックの私立中学に通っていて、クラスでも目立たないタイプです。クラスの優等生で人間的な魅力もあるコートニーに恋心をいだいていて、かわいいほど。しかし、彼の頭の中では、マンガやお話を元にした空想がいろいろ渦をまいています。絶体絶命のピンチから、自分だけの「小さな必殺技(…というと語弊がありますが、『ほんのちっぽけで安っぽくて、ほかの人が考えもつかないような力』〔p.110〕)」を駆使してコートニーを助けることを夢想したり。怪力の小指とか、ものすごく早くスキップできるとか、この空想は、けっこう笑えます。
ジェシカがトムの学校に転入してきてから、また次の病院に行くために転校するまで、ほんの数週間。大やけどを負って、モンスターのようになった冷たく、熱く、かさかさの皮膚のジェシカは、クラスの中で居場所なく、クラスメイトも、ジェシカをどう受け入れたらいいのか分かりません。「たまたま」ジェシカの隣の席で家も近かったトムは、意思に反してジェシカとかかわることになり、しかし、彼は大汗をかきながらも逃げませんでした。宿題を届けに行く、お祈りのときに手をつなぐ。けっしてかっこよくはない、やさしくしようなんて偽善ぶった気持ちはなく、本当に不恰好な自分のまま、ジェシカを恐ろしいとすら思う気持ちに偽りなく、でも、トムは、自分にできることはしようと考えます。
ジェシカという少女の抱える、傷というにはあまりにも大きな喪失は、経緯は違いますが、先日の『14才焼身自殺日記』にも通じるものがありました。しかし、ジェシカの場合は、あまりに不当に人生が奪われていること、彼女の物語がややも一方的であることに、少し不満も感じました。両親との関係は本当はどうなのだろう、美しかったジェシカ、花のようなジェシカの「現在」は、通過されるべきものではない、と思ったのは、私が女性だからでしょうか。
それはそれとして、トム・ベンダーがジェシカのいる数週間の中で、自己完結していた空想を表に出し、それと同時に、外からの空気も取り入れるようになったこと、マンガに影響されつつ、十分オリジナリティあふれた空想のおもしろさ、しかし、どこにでもいそうな平凡な中学生の、彼の人生なりの「大きな珠」の描き方は実感がこもっていて、ああ、大多数の中学生の男の子って、こんな感じかもしれない、と思いました。
いや、通過したのではないかもしれません。ジェシカは去ったけれど、「何か」を残していった。また、さまざまな学校に通わざるを得ない中でも、コートニーが言うように、トムとのわずかなかかわりの中で「好きの感情(恋愛的な意味ではなく)」をもてたことを否定したら、ジェシカに失礼でしょう。まだその意味は先にならないと分からないけれど、「何か」ではあるもの。たぶん、それがひとしく「教育」「学び」であると思いますが、ジェシカが通過されたと思うのは、逆に私の側のジェシカへの過小評価かもしれません。そういう、主人公たち自身がしたり顔にその意味を言うことなどできない経験をていねいにすくえるのが、YAの魅力だな、ということを改めて思いました。
白百合女子大学児童文化研究センターからの情報を転記します。
----引用はじめ
ドイツの著名な口承文芸研究者であるハンス=イェルク・ウター氏とザビーネ・ヴィンカー=ピーフォ氏が来日される機会に、白百合女子大学で「ヨーロッパのメルヒェン」と題した講演会を開催いたします。
*講演はドイツ語で、通訳がつきます。
*お席に限りがありますので(定員約200名)、参加希望の方は 7月2日までに児童文化研究センターにお申し込みください。
●日時 2007年7月10日(火) 14:40開会 17:50閉会
●会場 白百合女子大学内教室(未定)
プログラム
①14:50~16:10 「メルヒェン、子どもたち、ハリー・ポッターの魔法の世界」
ザビーネ・ヴィンカー=ピーフォ氏
ヨーロッパ各地の大学で教鞭をとる。前ミュンヒェン大学教授。ヴァルター・カーン・メルヒェン財団評議員長。国際民族学民俗学会の口承文芸研究委員会委員長。
民間伝承における女性像、口承と書承といったテーマでの著書があり、昔話や口承文芸についての論文多数。口承文化と現代メディアの関係、口承文芸とファンタジーの関係にも関心。
②16:20~17:40 「ヨーロッパのメルヒェンと伝説における巨人―おそれ、望み、排除―」
ハンス=イェルク・ウター氏
デュースブルク=エッセン大学教授。ゲッティンゲン学術アカデミーの研究機関『メルヒェン百科事典』の編集委員。口承文芸の歴史的比較研究に関する数多くの論文、すぐれた昔話集および伝説集を多数公刊。アールネ=トムソンの『昔話の型』を根本的に増補改訂した新話型カタログ『国際昔話の型』(ATU)を2004年に出版。
-------引用おわり
問い合わせ: 白百合女子大学 児童文化研究センター
〒182-8525 東京都調布市緑ヶ丘1-25 TEL/FAX 03-3326-7994
E-mail jido-bun@shirayuri.ac.jp
「AERA with Kids」(夏号 通巻2号)に記事が載りました。取材していただいたのは4月の終わりで、発売されたのは6月9日です。取材のときはなんとも和やかで、私は好きなことをしゃべりたおしました。記事になるうえで、書き言葉を意識してリバイズはしましたが、内容的には取材していただいた話がそのままです。「夏休みにちょっと上の本に挑戦する小学生に向けたおすすめの本」ということで、「物語」と「動物」の2カテゴリー×低学年・高学年 を選びました。低学年の動物だったら『ルドルフとイッパイアッテナ』、物語だったら『アナベル・ドールの冒険』、高学年の動物には『シャーロットのおくりもの』や『白い牙』、物語には『ツバメ号とアマゾン号』や『トラベリングパンツ』など。全部で30作品くらいです。この選書もおまかせだったので楽しく、結果的にはスタンダードな本がほとんどになりました。新しいものももちろん好きなのですが、まずは、古びない骨太さと味わいのある昔からの本をシャワーにすることで、読者の側も鍛えられる気がしています。
一緒に並べていただいたのは、なんと金原先生と赤木かん子さんでした。お二方は、梨木香歩やシンシア・カドハタ、また、様々な美しい種類のある図鑑などをたくさんご紹介されています。全体にバランスがいいな、と思います。金原先生はたしか和モノがお好き。『義経千本桜』の絵本はこんなにきれいなんだーとヒット。また、赤木さんおすすめの『日本どんぐり大図鑑』はTさんが喜びそうです。
この雑誌の今回の大きなテーマは「9歳の壁」で、学習や受験の話も多く、ふむふむと読んでしまいました。そうか、やっぱりピアノは習ったほうがいいのかな…でも、送迎をして自宅でも練習させて、という手間を考えただけで、「私が」続かなさそうです。私立中学の授業や実際に通っている生徒さんのノートには目を見張りました。灘校生のノート、すごすぎでした。
『宇宙をかきみだす―思春期文学を読みとく』(R・S・トライツ、吉田純子監訳、人文書院、2007年3月)
吉田先生が監訳で、私も訳に参加した研究書です。出版は3月だったので、ずいぶんと遅いご紹介になってしまいました。『ねむり姫がめざめるとき』がすでに紹介されているアメリカの研究者、ロバータ・シーリンガー・トライツ氏が、ポスト構造主義で思春期文学・ヤングアダルト文学を読みといています。
第1章 「思いきって、おれに宇宙がかきみだせるのか」 ポストモダン期の思春期文学
第2章 「ぼく、歌詞を知らないんです」 思春期文学にみる制度的言説
第3章 「書くということはこういうことなのかもしれない。中身を変えて、本当のことがわからないようにカモフラージュする」 思春期文学にみる権威の逆説
第4章 「とつぜん、わたしはイッてしまった」 思春期小説にみるセックスと権力
第5章 「思いどおりに焦点をあわせるとき」 思春期文学にみる死と物語の結末
第6章 結論 思春期文学のポスト構造主義的教育性
訳出作業の中で、とてもたくさんのことを勉強させてもらいました。思春期文学の中学校・親・教会などさまざまな「権威」があって、幾重にも若者を取り囲んでいること。「権威」は、まずヤングアダルトを未熟な者としてある種の型にはめ、その後、成熟した自分たち大人の側へ招き入れるというパターンをとっていること。「成長」はイデオロギーであること。こうした「権威」が権威となるうえで、言説や言葉がたいへん重要であること、などなど。最近読んで違和感のあった『僕らの事情。』も、この考え方から考えていくと、のしかかる言説や「権威」の声がうるさく感じられるのだと分かりました。
かなり骨太ですが、目ウロコのところがいくつもあります。吉田先生もお好きだとおっしゃっていた第5章、写真術を使って、若者がパワーを手に入れることの分析は、読んでいて心があたたかくなるような、ぐっとくる論考でした。ぜひ、お手にとっていただければ幸いです。
『チャンスがあれば―ストリートチルドレンの夢』(編・訳「チャンスの会」〔三平シルヴィア、野坂悦子、河津佳子、灰島かり、檀上聖子〕、岩崎書店、2007.5)
ご高著を拝受しました。いただいたのは数週間前だったのですが、ご紹介が遅くなりました。
第二回アジア開発銀行主催ストリートチルドレンによるアートコンサートに応募された、アジアの七カ国の子どもたちの絵をもとに、その子どもたちが「チャンスがあれば」したいことを語ります。たとえば、カトマンズのアティス・チトラカル(15)は「ぼくの国でまだ続いているテロを、ストップさせたい。」、ジャカルタのフィルリヤンサ(12)は「朝ごはんが食べたいよ。」貧しくなければ、教育を受けられれば、平和がくれば、虐待がなくなれば……さまざまな仮定の中にこめられる希望に、聞くだけではなく、自分たちでできることから、かなえる一歩の助けになりたい、と思えます。NGOに助けられた子どもたちは、「チャンス」を得ました。その向こうの、声あげられぬ子どもたちが受けるべき、穏やかで平和な暮らしを。私自身が宿題をもらったような気持ちです。「先生になりたい」「川に大きな橋をわたして、みんなが通れるようにしたい」という願いは、環境的に恵まれた子どもよりはるかに切実なひとことなのでしょう。
子どもたちのことを、ストリートチルドレンという一方的な枠に押し込めたくない気もします。この子たちひとりひとりが考えていることをていねいにすくいあげ、耳を傾けてくれる大人や友だちがせめていますように、と願います。
朝日新聞の夕刊(2007.5.12)に、1906年に日本ですでにピーターラビットが翻訳されていたというおもしろい記事が載っていました。「日本農業雑誌」という雑誌に掲載された、我儘者のウサギのペターのお話です。なぞったような絵は、まるで石景山ですが、それはそれとして、今となれば史料的価値が大いにあります。研究発表されたらもっとしっかり知りたい発見です。(ピーターにその気はなくても)畑を荒らそうとする話だから、農業雑誌に取り上げられたのでしょうか。
ところで、その「発見」とは関係ないところですが「杢平爺」とされているマグレガーさん。記者さんはわざわざ「原作では『マクレガーさん』」と書いていますが、マグレガーさんですよね。取材に行って、耳だけで聞いて、実際のピーターラビットの本は手に取らずに記事にしたんだな、ということが丸分かりで、かっこ悪いです。

今日は普通にお仕事ですが、町も電車もとてもすいています。10連休の人も多いのでしょうか。羨ましい。 一昨日は恵比寿で久々に某洋書古書店に行きました。雑居ビルの中ですが中は普通にナイスな本屋さんです。グリーナウェイのデッサン絵付きのThe Snow Queenやセンダックを買いました。お気に入りはBaby's Namesという小さい本で、英語の名前の意味が載っています。ヘブライ語で〜とか、ケルトの言葉で〜とか、発見が多く、キリスト教由来くらいしか知らなかった西欧人の名づけが急に身近に親しく感じられるようになりました。
疲れがなんとなくたまりつつある感じです。明らかにやることがオーバーフロー気味に。いい映画もDVDで見たし、絵本も読んでいるのですが、書き留められません。よかった映画は、アニメの「時をかける少女」でした。もう、キューン(死語)です。こんなに「残る」映画は久しぶりでした。すごくよかった~じーん。
さて、昨日は、T大学で初めてアメリカ人のTAに入ってもらいました。私が緊張していたのですが、経験値がアップしました。博士2年の長身の好青年でした。アメリカ人なのにサッカーをやり、ラグビーが好きって珍しいかも。
私は特に意識することなく普通に会話でき、まさに「アシスト」してもらいました。受講者たちもドキドキしながらも一問一答。がんばっていてよかったです。クラス対一人で、少々小学生のクラスのようなノリで進めてしまいましたが(最後にみんなでありがとうと言いましょう、とか)、おもしろかったです。彼はもうあと少しで帰国らしいのですが、新しい人が6月に来るそうなので、そうしたらまた入ってもらおうと思いました。
夏のIRSCL学会で託児がもうけられることになりました。詳細はこれからつめますが、成り行きで私が担当者に。TさんもTくんも夏は基本的にお留守番の予定なのですが、男女共同参画以来、認知度が高まりつつある託児@学会ですので、主催者・利用者、両方の立場からみて気持ちよくいきたいところ。このタスクも、私自身の経験値になりそうです。しかし、考えることが多い…。授業だってもちろん気が抜けないですし、合間に、昨日は幼稚園の先生の家庭訪問(単に楽しいおしゃべりでした)。明日は初めて取材を受け、そのあとはお茶です。複数人で次の本を出す企画も、先週、会議がスタートしました。そもそも、夏の大会での発表原稿もまったくこれからです。まずは風呂敷を広げただけなので。うわー書けるのかな。
T大学での新年度のミーティングがありました。授業の概要からコピー室の使い方まで、丁寧に教えていただきました。なんというか、あまりぎすぎすしていなくて、とても雰囲気のいいところです。4月は履修登録までにずいぶんわさわさするという話も聞きましたが、その中でも楽しくやっていけるといいなと思います。
生協も見学?し、ちゃんと教科書が発注されていたのでほっとしました。隣の食堂の安さにたまげました。そういえば、今はなき二幸ってこんな感じだったなあ、と。安くて、味はそこそこ。ボリューム満点。三田の学食はきれいになったときに普通に高い値段になったので、あまり学生値段の恩恵にはあずからなかったことをフラッシュバックのように思い出しました。
初めてお目にかかる先生方とは駅までの道すがら、少しおしゃべりも。やや分野外ですが、学会のお話を聞いたり。専門はアメリカの思春期文学・児童文学です、と自己紹介しています。
『14歳 焼身自殺日記』(ブレント・ラニアン、小川美紀訳、小学館、2004/2007年3月)
ご高著、拝受しました。センセーショナルなタイトルと表紙の少年の絵にびっくりしましたが、中身は、しっかりYA的な、生きることへの目覚めであり、「これから」にまっすぐ向いた物語です。
自傷行為や自殺未遂を繰り返していたこと、黒が好きで自分をエース・オブ・スペードなる神に見立ててジョークを言っていたこと、死への抑えがたい興味があったこと。「今」となっては、それがなぜなのかは分かりません。そして、それをあえて探る必要もありません。「もう死ぬのはこりごりだ」と思い、献身的な看護をしてくれる両親に感謝する。ぶっきらぼうだけど弟への責任を感じ、家の中で彼もまたつらい思いをしているお兄さんのことを考える。家に放火したりしたのではなく、「殺したのがオレだけでよかった」と思うブレントの、今度は、未来に向かっていける軌跡に、痛いのだけどすがすがしさを感じました。ガソリンを浸したバスローブをはおって、マッチの火を近づける。しかし、そのとき、燃え上がる熱さの中で、無意識的に体をまるめたために、手のひらとおなかや内腿は比較的軽度のやけどだったこと。自分の中にあった、「生きたい」と思う気持ちを、ブレントは頭ではなく身体で発見したのでしょう。
看護婦さんとのやりとりには、立場が与えうる心の絆のようなものも感じました。ブレントが半径100メートルの自分だけの狭い世界から出て、こんな風に他人と心を通わせられることを知ったきっかけが火傷というのは皮肉ですが、ティナとデートするときの心の動きとしんどさは、行間からにじみ出ていました。ブレントがもはや関心のない、「それはそれとしておきたい」過去の彼のあれこれを探ろうとする臨床心理士のように、うまくいかない関係もありますが、それは、体をみる職業と、心をみる職業の差なのかもしれません。一番印象的だったのは、その後、リハビリセンターを経て、救急センターに顔を見せに行ったブレントが、ティナと軽口をたたきながら、「ここはもう自分のいるところではない」と実感する場面でした。
過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる。この場合の「他人」は、過去のブレントでもありますが、身体は損なわれ、しかし、心はより強靭になったブレントが、だからこそこのジャーナルを書いたのだと納得させられました。
『黒ばらさんの魔法の旅だち』(末吉暁子作、牧野鈴子絵、偕成社、2007年2月)
ご高著を拝受しました。黒ばらさんというのは、日本人の2級魔法使い。御歳150歳です。たまねぎ頭というからテツコも思い出しつつ、表紙の牧野さんの絵で、優しくもたくましく、ユーモアがあって生き生きとした黒ばらさんを見て、改めて物語の余韻に浸ります。同人誌「鬼が島通信」に連載されていたものを加筆訂正されて、前作からかなりのブランクをあけて発表されたとのこと。誌面での一話分が一章で、テンポよく読むことができました。
それにしても、心から相手に手を差し伸べ、いろんな困難をユーモアにくるみながら先に進んでいく黒ばらさん。冒頭のあたりからすでに末吉暁子さんご本人とオーバーラップしてたまりませんでした。猪熊葉子先生も、昔、「わたくしは魔女なんですのよ」とよくおっしゃっていましたが、それに近い、もうひとりの素敵な本物の魔女に出会えたような気分です。
2級魔法使いとしてマスコミにもひっぱりだこの黒ばらさんは、かつて、自分が紹介してドイツの魔法学校に送ったひでくんが音信不通と聞き、カラスのケケーロと一緒にハロケン山に行きます。しかし、そこでは時空がねじれ、魔法学校はあとかたもなく……。なぞをとくうちに、妖精女王との契約、とらわれたひでくん、底意地の悪い魔女ジャマーラの心の機微、愛らしくもいさましいノームの子どもスキデンユキデンなど、様々な糸が織り込まれていきます。ツリガネ草が黒ばらさんの娘なのではないかという黒ばらさんの想いを、私自身も共有していたのですが、最後には、さびしいような、「でも、黒ばらさんだったら、この経験をさらに人間的な深みにしていくのだろうな」と思えました。
片方の目で真実が見えるスキデンユキデン、ネーミングの由来も本文に書いてあって、すごく印象に残りました。末吉さんもご訪問されたドイツの仮面のお祭りや、うわさの(?)ハロケン山、あるいは、本当にこうであろうなあという、自然の生きものに近い、妖精の生態など、ヨーロッパらしさの背景にとても奥行きを感じたのですが、そこに、黒ばらさんの持ち込む日本らしさがうまくミックスして、独特の来訪譚になっているように思います。私も、妖精市を見てみたいなあ、でも、きらびやかな目くらましの陰の「本当の様子」はぞっとしないなあ、などとあれこれ空想もできました。
すっかり黒ばらさんのファンになりました。それは、末吉さんご本人のファンであることと近似値です。末吉さん、ご出版、心よりおめでとうございました。
日曜日に京都でIRSCLの実行委員会会議がありました。もうあと数ヵ月後です。ここまでくると、具体の中の話になってくるので、スムーズかつ生産的でした。文学系学会では珍しいポスター発表、おもしろそうな遠足など、意欲的な実行委員会です。私のリバイズ版のペーパーも無事に受理され、発表できることになりました。あいかわらずのハミルトンですが、読めば読むほど発見があって、まだまだ探るべきことがあります。
昼は、うれしたのしの「おひとりさまランチ」。時間的に駅ビルしかだめなので、美々卯にあたりをつけていたのですが、開店20分すぎでもう10人以上の列。あきらめて、二番手の「田ごと」へ。昔々、ゆみちゃんと一緒に京都に行き、ガイドブック片手に入った四条の本店で、「意外に高かった…」お昼のお弁当をなんだか緊張しながら食べた、学生時代のことを思い出しながら、おそばの膳をおいしくいただきました。たけのこごはんは少し柔らかめな炊き上がり。別盛りのてんぷらを自分で乗せておだしをかけるおそば、とってもおいしくいただきました。
夜は実行委員のみんなでゆば泉で懇親会。私は二度目でしたが、やっぱり素敵なお店でした。3000円しないコースとは思えないほどのボリュームで堪能。特に、最後の湯葉ご飯にやられました。湯葉でとじてあるようなリゾット風で、とろみのついたおだしがかかっています。いやー、満腹満腹。
実はこの日は、だんなさんのお父さんが所用で東京にいる日で、家に遊びに来てくれることに。みごとにすれ違いになりました。だんなさんと一緒にあらかじめちらしとつみれ汁と味噌漬け焼きと野菜などを料理しておいて、お昼を出してもらいました。午後は、みんなで品川のエプソン水族館に行き、ノコギリザメを見たり、魚モチーフのメリーゴーランドに乗ったりしてずいぶん楽しんだようで、よかったです。
お父さんからいただいたお土産のおじゃこやクッキー、いかなご煮、私が買い込んだお漬物と湯葉と生麩餅。当分、京都の味覚が楽しめます。むふふ。
実行委員にも入っているIRSCL大会での発表に申し込んでいたのですが、少々の書き直しとネイティブ・チェックを前提に受け入れられ、発表できることになりました。とても忙しくなりそうですが、「ためらいつつ、どうしても」の気持ちで、駆け込みで応募したので、可でほっとしました。
今日はK大学の次年度ミーティングとネットワークを使った独特の学習システムのレクチャーでした。今年使ったぶんは分かりますが、先月導入されたソフトは初めて。すごくおもしろそうなのですが、使い方も使わせ方も試行錯誤が必要そうです。何はともあれ、エンジンがそろそろスタートです。次年度は、他で少しコマが増えたこともあり、K大学を1日4コマにしてしまいました。私にとっては未踏の領域なので、体力の配分に気をつけていこうと思います。

『虹への旅-ドーム郡シリーズ2』(芝田勝茂、小峰書店、2004.1)
シリーズ的には後先になってしまいますが、こちらから。タカバール、アシバール、ワラトゥームの3国に分裂したアイザリアには、「マリオを信じるな」ということわざがあるほど、マリオはうそつきです。小さなときから口からでまかせで生きてきて、町から町へ流れていくうちに、森の民になろうと考え、後先考えず出かけたグルノーの森で出会った2人の少女ナチカとパムリンのところで、森の民としての修行をはじめます。
ところが、今のアイザリアは、傭兵あがりのアサスという男が王を名乗り、いのりの民をほろぼし、国をのっとろうと戦争を続けている戦乱の世の中。のんびりとした時間は長く続きません。グルノーの森で、もと五民であるどうし、草原の民の「風」軍を率いるユリーズと、荒野の民の「空」軍を率いるゴムールが戦いをはじめようとします。居合わせたマリオは、戦いを避けさせたいあまり、口からでまかせに、自分は森の民の王ヌバヨだと名乗ってしまいました。
一時休戦の代わりにゴムールとユリーズが出した条件は、ナチカとパムリンを人質にし、1年の猶予期間のあいだに、「山の壁」という、こちら側からみればいわば地の果てを越えて、本当にあるともしれないトープ・アイザリア(夢のアイザリア、もうひとつのアイザリア)に行くことでした。そして、かつて、いのりの民がほろぼされる前に不幸を予見した者によってアイザリアから安全な場所へ連れ去られた、いのりの民の王女ラクチューナム・レイを連れ帰るという課題が与えられます。とにもかくにも出立しなくてはいけないマリオ。山の壁までの長い道のりには、なぜか、気のいい道連れが2人登場するのですが、山の壁を越えたら、そこから先はマリオひとりで進まなくてはいけません。
ここまでがいわば前段で、メインは、トープ・アイザリア(ドーム郡です。こちらのひとは、自分たちのいるほうが「ただの」アイザリアだと思っています)にやってきたマリオが、よそ者としての一線は感じながらもドーム郡に迎えいれられ、少女ノームをはじめとする人々とふれあう中で、様々に考えを深め、自分の行動を決めていくところにあります。もちろんマリオだけでなく、かつてドーム郡にやってきた不気味な影男がもたらそた鏡に心奪われ、気持ちが曇っていたノームがいかにすがすがしく自分を取り戻し、大きな決意をするか、あるいは、ドーム郡の若き長官の迷いと決意、若者たちが自分の意見を出し、ぶつかりあいながら、ひとつの大きなパラダイムシフトを経験して、真にめざすべきものは何かを追求しはじめるところなど、キャラクターそれぞれの逡巡とその後の行動が、胸にせまる真実味をもって描かれています。読み手の私もいつか違う局面で感じたような迷いと解決――つまり、最初にあるべき目的に照らして、ここが肝心なのですが、自分の欲のためではなく、人様のために役に立とうとするとき、おのずと道がひらけていくような経験――が、ファンタジーの形で表現されています。このことに気づくのは、今、大人になった私ですが、埋め込まれたこのメッセージが、まだそのような人生の選択をしていない子どもやYAの読者の無意識の中にしまいこまれるといいなあということも、読みながら願いました。
論文書きとかでも同じなのですが、だんだんに構築されていった物語世界が、あるところで、それ自体として走り出す瞬間を感じます。そうすると作家は、必死で伴走していき、しかし、ある点では手綱を引いて方向性をただすような――この物語は、それは、ドーム郡の人々が、化石の軍団と戦う決意をするところとか、結局、五民軍とアサス軍が戦うところとか、ひとつの大きなテーマである「戦い」にからんでいるのです――感じになるのかな、ということも考えました。動いていく物語世界と、人としての迷いと選択を描く作家がぶつかりあうところに、ファンタジー読書の醍醐味があります。
キャラクターの造形が印象的でした。第一作のかかしほどではないにせよ、マリオ。もちろん、芝田さん理想?のノームのような女の子。天然の健康さがあって、快活で、自分に正直で、かわいくて、ちょっとした恋心ももりこんで。魅力的だと思いました。彼らが、天下国家を論じる前に、目の前の人を助け、ひとりでもふたりでも大切な友だちのために必死で努力することが、やがて、ぜんたいの平和を導いてくる、という、物語のどっしりした土台となる価値観には、パターンですが、じんとしました。
順番に道を進んでいくところや、ちょっと変な生きもの(というか化石の軍団とか)が出てくるところ、ブレイクスルーがあれば意外にうまい方に進んでいくところ、中心に女の子がいるところ、などに『オズの魔法使い』を感じました。それから、大きなことをなしとげたあとの若い男女が、あえて上には立たずに平凡な暮らしを選んでいくところ-これはたしかにひとつのパターンなのですが、最近どこかで見たなぁと記憶とたどって、ゲドとテナーという組み合わせに行き着きました。彼らも、結婚したのは中年以降だったっけ、と余計なことを思い出しながら、森の民、ドーム郡の娘として、自分たちが選んだ場でよき生を生きていくだろうノームとマリオの会話を読みました。佐竹さんの絵もすばらしいですね。
ところで、原作が書かれたのは1983年。前作の『ドーム郡ものがたり』が1981年。今回私が読んだのは改稿版で、比較はしていないのですが、たぶん、中心的な部分にはぶれがないだろうと予想すると、80年代に中高生だった自分が、エコや戦争をキーワードに、真剣に地球の心配をしていたことを思い出します。ナウシカの劇場公開が1984年でした。マンガと劇作はほとんど別物ですが、あの劇場作品だけ見れば、自然・戦争が大きなテーマになっていました。影響を受ける・受けないといった狭いことではなく、逆に、そういうところから時代性が見えてくるようにも思います。
芝田さん、おもしろかったです。
新宿で会があり、先生方を囲んで、おいしいお酒をいただいてきました。久しぶりにお目にかかった方も、先月の神宮先生の白百合での学部向けの連続講義のときにお目にかかった方もいらっしゃって、刺激的なお話をたくさんうかがいました。自分の言葉で語ること、語る素材が「子ども」の文学であることの意味、個々の作品に真摯に向き合いつつ、大きな流れの中に、作品も研究もともにあるのだと意識すること。いろいろなことを思いめぐらせました。河童の話という『かたはれ』と『たそかれ』が、次に読むべき本です。
『アル・カポネによろしく』(ジェニファ・チョールデンコウ、こだまともこ訳、あすなろ書房、2004/2006.12)
ご高著拝受しました。ニューベリー賞作品です。これがまた、おもしろかった!スキー場で夜の読書に楽しみ、読み終わったときは最後の1行、ああ、このためにこの物語が書かれた、そのすばらしい1行に出会えたことに、しばし余韻に浸りました。
ちょうど、3校を終えたばかりの研究書で勉強したことから考えると、親の言説や権威と衝突していくところで子どもが成長していく(そしてその成長をもたらすのも、彼が書く「手紙」という言語によるものです)、よくあるパターンなのですが、舞台設定もキャラクターもよくできているし、主人公のムースくんの心情や、アルカトラズ島の子どもたち、ムースとキャリーの関係、それから親の気持ちも深く感じることができました。12歳なのに180センチのムースくん、あまりに多くのものを負わされて、でも、親は、ハンディキャップをもつ子をかかえた場合、そのきょうだいのフォローにまではなかなかいけないのかなあというあたりもぐっときました。そんな中で、しっかりとムースとキャリーが関係を作っていること、作らざるをえなかったのかもしれないけれど、とにかく作っていることに、同じ経験をしたのであろう作者の心の奥がかいまみられるような気がしました。
サンフランシスコ沖のアルカトラズ島。イメージでは、まさに囚人たちの孤島だったのですが、実は、看守たちが家族連れで住んでいた。悪いやつはみんな檻の中なのだから、逆に安全と思われていた、というあたり、認識が180度変わりました。もちろん、『アル・カポネによろしく』はフィクションですから、おもしろく描いている部分もたくさんあると思いますが、様々な細部はかなり忠実とのことで、知らない世界をのぞく楽しみがあります。
ちょっと軍艦島も思い出しました。→軍艦島オデッセイ
アル・カポネという人物については、私は禁酒法時代のシカゴのギャングの親玉くらいの認識しかないのですが、wikipediaで見ると、暗黒街の大物でありながら表舞台にもずいぶん出てきて、いろんな顔をもつひとなのだということがおぼろげながら分かりました。その筋の人は、素人さんには手を出さないということでしょうか。ひたすら悪人として見られているというわけでもないようですが…、慈善の話などはwikiでは、アル・カポネがお金を出したわけではないということで、つまり、アル・カポネはアル・カポネだったのでしょう。
でも、ある種の記号として、ミーハーな心を満たす対象として、作品の舞台である1930年代にはアル・カポネは、リアルに有名人だったのでしょう。そして、おもしろさは、そんなアル・カポネが刑務所の中の労働では、看守の家族の洗濯をしている、というところにあります。洗濯!なんとも末端の労働!
アル・カポネ自身は、作品には登場しませんが、「カポネさん」で出てくるアルのママの挿話がよかったです。そしてそれが、あの最後の1行にもつながるわけで、希望につながるエンディングの妙でした。こだまさん、ありがとうございました。
書きたいことばかりたまっていき、そのそばから時間がびゅんびゅん流れていきます。目標は、毎日、ブログに何かひとこと書くことにしたいのですが… ほぼ日手帳を今年は愛用し、写真を貼ったり、はんこを押したり、絵本読みの絵本の名前を書いたり、かなり楽しんでいます。それで満足してると、なかなかブログまでたどりつけない…。
先週は、Tさんの「おたのしみ会」もあり、Tくんも親子教室をちゃくちゃくとこなしています。幼稚園ママさんちへのお呼ばれもいろいろあり、たまたまみっしりいろんなイベントがつまっているあいだ、だんなさんが数年ぶりの御用聞きに5日間アメリカへ。たった5日間だけど仕事が全然できず、二人で日常をまわしていることを改めて感じました。帰ってきたときは「おお、人手だ。welcome back♪」 それぞれの家庭によっていろんなやり方があると思いますが、なんであれ、毎日、ママやパパひとりだけでまわす場合は体力的にかなり消耗するはず。うちも、夜はひとりですが、だんなさんは朝遅く出られるので、朝ごはん、お着替えなど、家事もろもろ、どっちかの送り(私が外仕事のときは二人送り)までしてくれるので、二馬力に。ほんとありがたやです。
でもって、今週は3連休に旅の予定を入れてしまったのですが、その前に〆切が3つもあり、久々にせっぱつまった状態です。明日までに、終わるのか、ほんとに?
で、戦士の休職じゃなかった休息。「黄金の羅針盤」が映画化されるそうです。リリースは今年の12月。日本にくるのは再来年でしょうか。絶対見たいです。ライラのママがニコール・キッドマンって、そのまんまな気がします。サルとかすごい似合いそう。