2005.07.09

エンピツは魔法の杖

『エンピツは魔法の杖 物語・詩・手紙…ニューヨークの子どもたちに「書くこと」を教えた作家の奇跡のような3年間』サム・スウォープ/金利光訳、あすなろ書房、2005年6月

enpitu
 副題の通り、子どもの本の作家であるサムさんが、「教師と作家の協同作業」という機関の依頼を受けて、ニューヨーク・クイーンズの公立小学校の3年生のクラスに入るところからドキュメントが始まる。
 当初、10日間の予定だったクリエイティブ・ライティングのプログラムは、子どもたちとのふれあいにのめりこんでいったサムさんの意思で、ボランティアの形で3年間も続き、サムさんがそのクラスの子どもたちの卒業を見届けることでプログラムは終わる。そのかん、彼は、生徒の進路に心を砕き、校長に交渉して、使われていなかった小部屋を自分の職員室に整頓する。生徒の父母にも会い、生徒たちを自宅に招く。

 サムさんは、子どもたちにメタファーを教え、協同作業でもって忍耐強く子どもの着想にストーリーラインを与え、宿題を出し、詩を学ぶ。1年目は「箱」、2年目は「島」、3年目は「木」というプロジェクトを考え、それに添って、ものを観察して書く方法やおはなしを広げていく方法を学ばせる。6年生の「ツリー・プロジェクト」は、子どもたちが、それぞれに木を養子にし、木に語りかける形で詩や散文を書くものだ。木の理科的な勉強をし、セントラルパークに出かけて観察したり葉っぱを拾ったりしながら、子どもたちはネイチャー・ライティングを試みる。
 教室や公園での子どもたちの一瞬の情景を見逃さないのが作家の目であり、気乗りのしない子どもとコラボレーションして物語づくりに導いていくのは教師としての手腕だろう。その冷静さは裏を返せば楽しいユーモアにもつながる。

 この本の何より読ませるところは、この3年間の「奇跡」がプロジェクトXのような成功譚になっていないことだ。授業の準備に没頭し計画を立てても、思うような反応を引き出せないこともある。すべての生徒に好かれたいという危険な誘惑に陥りそうになることもある。実際の担任の先生のキャラクターによって、授業の重みが変わってしまう試練の時もある。傷つく言葉を投げつけられることもあれば、子どもたちに飽きられることもある。宿題もやってこないことも日常茶飯事だ。3年生当初の28人のクラスは出身国が21カ国、母国語は11にもなり、移民の親世代は貧しくて子どもの勉強にまで心を砕くことができなかったり、英語を話せなかったりする。先生と親の仲立ちにすらなる子どもたちは、家族や暮らしの問題も抱え込み、それが暴力的に出る場合もある。作文に身が入らないことも多々ある。
 宗教の教えと現実とのはざまで悩む子ども、両親の不仲に傷つく子ども。彼らに対して無力でもあるということを、サムさんは冷静にありのままにとらえている。

 だけど、だからこそ、ことばと書くべき対象と書き手の心とが合致した幸福な瞬間には、子どもたちの書いた文章が読み手にしみじみ響くものになる。I Am a Pencilという本書の原題は、クラスが4年生に進級したとき、ジェシカという賢い少女が「自分のメタファー」として書いた詩の一部である。「わたしはエンピツ/わたしの暮らしを/書くじゅんびができている」(p.149)(I am a pecil / ready to write / my life.)lifeはこれからの人生も意味するだろう。エンピツになった子どもたちが、少なくともその瞬間、創作・作文を通じて、自分と世界をつなぐという困難にとりくんだこと、3年間という線ではなく、その瞬間、瞬間の点がいかに珠玉のものでありえたかが、いくつかもの詩や作文から感じ取れる。

 両親の不仲に苦しんだ6年生のミゲルが、両親が仲直りして再び教会で誓約するというときに四苦八苦しながら書いた祝婚歌には重みがある(そして「後書き」でのその後にも)。

ぼくはママを
パパにわたします。
風が種を
土に戻すように。

ママのヴェールが
ママの顔をおおいます。
種をおおうのはなんでしょう?
種をおおうヴェールは
固い殻
その下にかくされているのは
木の美しさです。

ママとパパは
二人でひとつです。
種と殻は
二つでひとつです。
ぼくのママと種は
花よめ。
ぼくのパパと湿った土は
花むこ。
ママとパパと土と種……
新しい実がなって
それがまた新しい実をつけて
いのちが続いていくのです!
(p.367-368)

 この3年間を通じて、悲喜あわせてすばらしい経験を得たのはサムさんの方だとサムさんは言う。だけど、誰か大人が少なくとも一生懸命自分に関わったことを、どこかで感じ取り、ツリー・プロジェクトの最後にできあがった「ツリー・ブック」を抱きしめられたことが、もちろん、子どもにとっても、そのときいつか、振り返ったときに何かの力になることが思われる。
 また、最後の方に一瞬だけ出てくる、バンド指導のミスター・フォルティとサムさんとの出会いから、子どもたちの生活が様々な要素がパッチワークされていることにも気づかされる。そのときのサムさんと同様、スジュンのもうひとつの顔を知れて、私もショックを受け、そして嬉しかった。

 個人的なことだが、サムさんとはあるMLでのやりとりを経て、この本が翻訳出版されたことを受けての来日のときにお目にかかることができた。気安く、あたたかく、いたずらっぽく、いろんなお話をしてくださり、私のことも聞いてくださった。本書の中で生徒に「自分を喩えるのに、花や星のようなセンチなものは嫌いだ」と言っているように、ものを書くことへの敬意にも似た冷静さがあり、しかし、その語り口は穏やかで、お客様なのに私たちの方がもてなされたような気持ちになった。 

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2005.06.23

いける本・いけない本 2005春 02

 ムダの会発行の「いける本・いけない本」の第2号を拝受した。創刊号もおもしろくて、にまにましながら読んだのだが、今号もナットクしたり笑ったりしながら。ただで読ませていただいてありがとうございます、と感謝。
 各出版社の「いける本・いけない本」アンケートのいける方に入っていて、たしかに気になる(今更だけど、でも、読書に今更はないだろう)『僕の叔父さん 網野善彦』(中沢新一)。西成彦の本には、けっこう影響されたので。ある方のいけない方に入っていた『オニババ化する女たち』(三砂ちづる)は、私は、反発もかなりあるだろうことも理解できつつ、でも根本的なメッセージには共感した本だった。男性が読むとまた違うのかな。
 児童書・ヤングアダルトももっと入ってくるといいなあ。
 さくらかんさんの書店・珍客話も笑えるし、「炉辺夜話1 翻訳書に新しい流れが見えてきた」(K1&K2)でのハリー・ポッターの翻訳へのキックも、快哉を叫ぶ人が多いかも、ふふふ。この夜話では、今回は古典の新訳の話がメインなのだが、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『星の王子さま』の話も聞きたい。

 情報と楽しみもりだくさん。創刊1万部があっという間にはけたというのも納得です。

 「いける本・いけない本」 2005年5月5日号 発行:ムダの会 発送:トランスビュー
意見:mudanokai@hotmail.com
非売品/書店や生協にで頒布

これは出版界の有志が作った書評誌です。本への熱い思いをともに語り合い、なかに何冊か、あなたの興味を惹き、いずれ出会うことになる本があれば、それに過ぎるものはありません。

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2005.06.22

小学館クリエイティブ・復刻名作漫画

 先週の澤田さんのお祝い会の二次会で野上さんに見せていただいた、小学館クリエイティブから出ている「復刻名作漫画」のシリーズ。大正~戦前(例外もあるが)に書かれていたモダンで楽しく想像力あふれる漫画の復刻版で、いずれも函入り。裏の収入印紙や広告も忠実に復刻されているのが、気分である。
 今日大学院の授業で使った、とおっしゃって見せてくださったのは『愉快な鐵工所』。飲み会の席では、思わずおもしろくて読みふけってしまった。

 そして、『火星探検』を拝受しました。ありがとうございました。

『火星探検』([旭太郎作/大城のぼる画、中村書店、昭和15年5月]、小学館クリエイティブ、2005.3)kaseitanken

SF漫画の不朽の名作! 昭和15年に発刊された本。正しい科学的知識に基づき、ファンタジックなストーリー展開の物語で、日本漫画史上特筆すべき作品。

 火星探検の話というよりは、もっと日常の、天文へのドラマを軸にした子ども(と父親)のおもしろくて楽しい話(一話読みきり×14)である。天文学者の星野博士の息子のテン太郎と、友達の犬のピチくんと猫のニャン子。天文台に行って、お父さんから火星の話を聞いたり、家で幻燈を見せてもらったりする。火星への興味を読者もかきたてられながら、笑えるのは、たとえば、星野博士と同僚の月野博士との子どもっぽい掛け合い(とそれを見るテン太郎たち)や、テン太郎の見た奇想天外な夢に本気で「それは違う!」とむきになってしまう星野博士の姿である。もちろん、「火星探訪」の場面もあり、科学的な教示もありで、ひとつのテーマをふくらませるおもしろさを感じる。なつかしい感じのレトロなオールカラーも味がある。

 ところどころに「学者の研究に無駄はない 研究さえして置けば他のことにも応用できる」(p.22)ニャン子に向かって「天気の変わり目ちゃんと知るのは天文学者より偉いだよ」(p.142)(いずれも旧字体)などの含蓄のある言葉もあり。とても楽しく読んだ。
 
 シリーズは、他に5冊と、漫画史の研究書が出ている。いただいたチラシを転載します。

『汽車旅行』(大城のぼる作・画、小学館クリエイティブ、2005.3)
kisharyoko

昭和16年に発刊された本。映画的手法を駆使した先駆的作品。汽車に乗って東京から名古屋まで向かう旅行物語。大船付近で語られる、アニメーションの制作プロセスは、現在でも少しも古びていない。

『愉快な鉄工所』(大城のぼる作・画、小学館クリエイティブ、2005.6)yukainatekkojo

昭和16年に発刊された本。漫画の中から抜け出たキャラクターが中国大陸やアニメーションの世界を自由に旅する、先鋭的なSF的手法が随所に盛り込まれた記念碑的作品。

『タンク・タンクロー』(阪本牙城作・画、小学館クリエイティブ)

昭和10年に発刊された本。タンクローはちょんまげに長靴という姿のユニークなキャラクター。陸海空を変幻自在、球体の体からあらゆるものを出して戦う痛快ロボット漫画。

『正チャンの冒険』(織田小星作/樺島勝一画、小学館クリエイティブ、2003.11)shochan

大正13年から昭和26年までに作られた作品を厳選してまとめた作品集。冒険好きな少年・正チャンが、リスをお供につれて様々なファンタジー世界を旅するという、夢あふれる物語。

『漫画大博物館』(松本零二・日高敏 編・著、小学館クリエイティブ、2004.11)mangadaihakubutukan

 現代漫画を生み出した古典名作を時代順に集大成した漫画史百科!大正13年の「正チャンの冒険」から、昭和34年の「少年サンデー」「少年マガジン」の創刊までに出版された単行本を時代順に紹介した、初のビジュアル漫画史。

その後、いろいろ検索していたら非常勤のときに時々お話していて、故郷のみかんを下さったり、お子様話をしたりしていたマンガ研究者の宮本さんのブログと、そこでのこのシリーズへのコメントを発見。北九州に行かれた話は、吉村和真さんに伺いました。おめでとうございます!
こんなところで何ですが、ブログもおもしろいので、リンクさせてくださいませ。

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2005.06.21

きょうはへんな日

 愛読している同人誌「鬼ヶ島通信」。今号はアンデルセン特集で、人魚姫、赤い靴、みにくいアヒルの子、と、フェアリーテールにクリエイティヴィティを(本来のフォークテールにはない情緒と感情と愛憎とを)もちこんだアンデルセンの、歴史上のすごさを思う。たとえばかなしみがしみいる結末、ハッピーエンドにもどこかぎざっとひっかかるてざわりに、だんだん遠ざかっていった作家なのだが、改めて、その肉感を感じた。
 私もアンケートに少しだけ参加させていただいています。

 ところで、先日、その「鬼ヶ島通信」のファンサイト「鬼ヶ島通信・ふぁんさいと」でプレゼントのお知らせをやっていた…と勘違いして、去年の募集に間違えてメールしてしまうという赤っ恥をしてしまったのだが、管理人の灯台守さんが、ご親切にも、私が希望を出した末吉暁子さんと村上勉さんの絵本を贈ってくださった。
 ああ、赤っ恥なのにすみません。とても楽しく読みました。

『きょうはへんな日』(末吉暁子/村上勉、ベネッセコーポレーション、1998.3)hennahi

 おるすばんのまいちゃんが、絵本の『白雪姫』を読んでいると、リンゴ売りのおばあさんがやってきます。『シンデレラ』を読んでいると、ガラスの靴をささげもったお城の従者がやってきます。『オオカミと7ひきのこやぎ』を読んでいるとオオカミがやってきます。

 おるすばんの間の読書の空想の立体感と、あるいは?という楽しさ、元祖「間テクスト性」が実現した絵本で、もちろん村上勉さんの描くまいちゃんの表情や昔話の登場人物たちも味わいがある。

 灯台守さん、ご高配くださいましてありがとうございました_(_ _)_

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2005.06.03

鈴木出版 絵本4冊

 「この地球を生きる子どもたち」をいただいた折、出版されている絵本もおくってくださった。Tさん、さっそくくいつく。読む読む。せがむ。朝、私はドライヤーをかけながら、洗面所の下に座り込むTさんに読む。パートナーは、ベーコンエッグを焼きながら、上から読む。
 頂戴しまして、本当にありがとうございました。

『ねこのかぞえうた』(せなけいこ、すずき出版、2001.1)nekonokazoeuta

 せなけいこらしいつくりで、ねこがいっぴき、にひき、順番に増えて数え歌になっている。さかなを前にしたいただきますの表情が好き。
 最後は夕暮れの中でシルエット。Tさんはここだけ私を制して「Tちゃんが読む」。「ゆうやけ こやけ あしたも みんなで あそぼうね にゃんにゃんにゃーん」。さて、オリジナルとどう変わっているでしょう。

『おっぱい』(みやにしたつや、すずき出版、1990.5)
oppai

 「おおきく、やさしく、つよく、げんきなこにしてくれた」おかあさんのおっぱい。ぞうさんもねずみさんもごりらさんもぼくも飲んできたおっぱい。そのまるさとあったかさの質感がいい絵。

『しらないいぬがついてきた』(小林与志、すずき出版、2003.9)
shiranaiinugatuitekita

 あっちへ行ってって言っても、知らない犬がぼくのほうへついてくる。逃げていくうちに、迷子になっちゃったぼくを、今度は知らない犬がつれていってくれる。シックな色合いと男の子の困った表情、最後のぼくと犬の仲良しにほっとできる。

『へびくんのおさんぽ』(いとうひろし、すずき出版、1992.5)

 いとうひろしらしい、ややナンセンスで笑える、ユーモラスな絵本。ところどころ4コマ仕立てになっていて、Tさんは順番が分かっていなかった。おさんぽに出かけたへびくんが大きな水たまりを見つけ、その上に、長いからだを伸ばすと、動物たちが次々にやってきて、橋の代わりに渡っていく。Tさんは「どかどか」「どすどす」「ぞろぞろ」と擬態語をすぐに覚えてまねしている。へびくんの表情と、たとえば象のおしりがナイス。

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2005.05.27

大人のための児童文学講座

 ご高著を拝受いたしました。徳間の「子どもの本だより」に連載の様々な児童文学を再読する論稿に書きおろしも加え、取り上げた作品は全部で47。日本、イギリス、アメリカ、スウェーデン、ドイツなど多岐にわたる。
 「家の中の子ども」を軸に家族観・子ども観の変化や時代の要請や、それを今読む/児童文学を大人になってから読むおもしろさが分かりやすく語られている。あらすじと著者紹介もついてお得。

『大人のための児童文学講座』(ひこ・田中、徳間書店、2005.4)otonanotamenojidobungakukoza

児童文学の甘い罠も昏い暗部も、美しい理想も優しい祈りも、ひこさんは隠さずにみんな教えてくれる。かつてない刺激的レビュー!―「ダ・ヴィンチ」編集長 横里隆
古典から現代まで、児童文学の流れがコンパクトに頭に入る画期的ブックガイド登場!(オビより)
『若草物語』は、お父さんの影がとっても薄い? 『小公子』って、実は最も不幸な子ども? 『少女パレアナ』は恋愛結婚をオススメする本? などなど、読んだことがある、よく知っていたはずの子どもの本が、まったくちがう物語に思えてくる……気鋭の評者による、新鮮な驚きと発見に満ちた児童文学入門書の登場です。
「児童文学」は、大人の社会を如実に反映するジャンル。十九~二〇世紀にかけて、古典から現代までの児童文学の歴史をたどりつつ、「家族」や「子ども」像の変遷がつかめる斬新なガイドブック。(見返しより)

 いくつかは、「子どもの本だより」や「児童文学評論」で読んだことがある。児童文学は多面体だから、どういう切り口で読むかがキモだけど、ここでは「家族と子ども」に焦点が合っている。構築物であるフィクションの子どもや家族をどう読むか。ひこさんの読み方じたいもまた、それを要請するsomethingを背負っているように感じる。

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2005.05.26

風神秘抄

荻原規子さんの新刊が出ました。5月29日のサイン会は、予約1日だけで予定数終了とか。3日で重版がかかっています。wow.
本の紹介は徳間書店ページへ。

『風神秘抄』(荻原規子、徳間書店、2005.5)
fujin

はーやく読みたーい。読むぞー。

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2005.05.25

鈴木出版の海外児童文学シリーズ(4)(5)

 アップするのが遅くなったことをおわびしつつ、拝受しましたご本の紹介を。

『はばたけ!ザーラ ―難民キャンプに生きて』(コリーネ・ナラニィ、野坂悦子訳、鈴木出版、2005.2)
Zahra, Corine Naranji, 2003.

zahra

さよなら!大好きな人たち
みんながいるからこのクルド人難民キャンプがわたしのふるさと。でも……。(オビより)

ザーラは、まだ赤ちゃんのときに、家族や親せきといっしょにイランからイラクの難民キャンプに逃げてきた。日干しレンガで建てたちっぽけな小屋での生活はつらいけれど、ここには大好きな友だちがいて、やさしいおじさんや陽気なおばさんがいる。でも、生まれつき重い病気をかかえている弟のレザは、ここでは生きられない……。
運命の急激な変化にとまどう難民一家の過去、現在。そして未来への希望を10歳の少女の目からえがく話題作。(見返しより)

『消えたオアシス―灼熱のサハラをさまよって』(ピエール=マリー・ボード、井村順一・藤本泉訳、鈴木出版、2005.4)
Issa, Enfant des Sables, Pierre-Marie Beaude, 1995.
oasis

ユニセフフランス委員会グランプリ受賞
どうかイサに生きる力をあたえてください
自然の厳しさ、命の尊厳をうたう衝撃の物語(オビより)

はてしない灼熱のサハラ砂漠を、おさないむすこイサをつれて、若い夫婦がひたすら北を目ざして歩きつづけている。きょうで五日目。ひどい干ばつに見舞われて。それまでくらしてきた村を離れ、夫オコボエの故郷、トゥアレグ族の大地を目ざす旅。飢えとかわきに苦しみ、もはや泣き声すらあげられないイサにとって、それは危険な賭けだった。
いっぽうフランスから人道援助にきていた医師マリーは、オコボエたちのことを知り、かけつける。イサを病院まで運ぶ手はずをととのえて、ヘリコプターを待っていたが……。イサに死のかげがしのびよる。
きびしい大自然、ひたむきに生きる人びとの姿を美しくうたいあげた、いのちのつながりの物語。(見返しより)

まざあぐうすさんの感想がこちら。(ほのぼの文庫)

このシリーズの第一弾の『ヒットラーのむすめ』は先ごろ、第52回産経児童出版文化賞のJR賞を受賞していた。シリーズ全体への期待が込められての受賞と思う。このシリーズの個性と、子ども読者への思いが評価されたことに、おめでとうございます。

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2005.04.15

イヤー オブ ノーレイン Ⅱ

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『イヤー オブ ノーレイン―内戦のスーダンを生きのびて』(アリス・ミード作/横手美紀訳)、鈴木出版、2005年2月 (Year of No Rain, Alice Mead, 2003).

 読んだ時期、出版の時期と重なるように、1983年から20年以上続いていたスーダンの内戦が1月に終結し、それを受けて4月に日本政府が1億ドルの援助を決めたというニュースを読んだ。
 『イヤー オブ ノーレイン』は、これまでの海外児童文学シリーズ2冊と同様に、海外で過酷な状況を生きのびる、おおむね12歳以下の子どもたちを描いており、今回の舞台はアフリカのスーダンである。
 スーダンやエチオピアというと、私の小学生くらいの時期に、干ばつとそれに対するユニセフなどの支援を報道していたのを覚えている。そして、ガリガリにやせた同い年くらいの子どもへの激しいシンパシーの感覚も。
 その記憶は、一過性のセンセーションではなく、私の中に沈殿した。干ばつを子どもの姿、目にハエのたかった子どもの姿を<読んだ>こと。読むときに働く想像力のため、ガリガリにやせたエチオピアやスーダンの子どもの身体は、私の脳にやきつくようにして記憶したのである。
 やがて、マスコミが、問題を報道したらおしまい、といわんばかりに、あっという間に報じなくなっても、この像は残り続けた。本の力、というのはたとえばこういうところにもあるのだと思う。

 この本に関しては、干ばつだけでなく、南部と北部の内戦、部族間抗争、国境を越えた戦火や難民の問題など、事態はいよいよ複雑になっており、その中で、それでも生きていく子どもを描いている。「雨のない年」が3年も続き、やせ細った牛だけが頼みの綱である村に、赤十字からの援助物資が飛行機で落とされれば、政府軍の兵士も反乱軍の兵士もやってきて強奪し、少年は兵士にするため、少女は奴隷に売るために拉致していってしまう。
 

 主人公はステファン少年。兵士の足音を聞いて、仲間と一緒に森に逃げ、帰ってみると母は殺され、姉の姿は見えず、家々は焼け落ちている。村から逃げるように、どこかを目指して歩き始めた3人は、渇きと恐怖と病気の危険に、歩いていても休んでいても、心落ち着くことはない。やがて、ステファンは、胸に手を当てて改めて考え、情報や想像に従うのではなく、本能的に自分がよいと思う方向に戻ろうと決意する。

 途中での他の少年たちやおばさんたちや医師との出会いに、読者に希望を与えるべき児童文学のひとつの立場を思い出させられた。だが、これが1999年を描いた2003年の作品であるということや、政治的に内戦が終結したたった今、この物語よりひどい混乱状態と、醜い人間性どうしの衝突が起きているであろう現実が喚起される。
 そこからはじまる物語。「考え」を促すという点で、つくりかたと同時に、そのスタンスもまた、しっかり児童文学で、それを選択した土台が確かに確かであることを感じた。

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2005.03.10

イヤー オブ ノーレイン

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『イヤー オブ ノーレイン ―内戦のスーダンを生きのびて』 アリス・ミード/横手美紀訳、すずき出版、2005.1.28 (Year of No Rain, Alice Meed, 2003)

「雨は3年降っていない。戦争は15年も続いている…ぼくたちは明日まで生きられるのか!?」。 

 すずき出版の海外児童文学シリーズの3冊目。
 児童文学をやっていると、どんな恵まれた(ように見える)子どもも、社会・共同体でのアイデンティティの模索、心の変化、性、ドラッグや暴力などの社会環境などを「生きのびて」いるように見えて、そしてそれが様々な読者のこころに触れる普遍性・共通性を持っているように思えて(=児童文学の底力)、「生きのびる」という言葉をつい多用してしまう。もちろん、たまたま多用してしまうのであって、それぞれがそれぞれのサバイバルであることは、たしかにたしかだと思うのだけど、スーダンを舞台にしたこの本や、同シリーズの2冊目の『イクバルの闘い』を見ると、観念的なそれではなく、本当にいのちをかけて生きる子どもがフィクション化されて読めることの意味を、改めて強く思う。そして、そこで児童文学がどう現実にコミットするかという問題も。

 

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2005.02.07

ぼくのロボット恐竜探検

 高崎で学校図書館や読み聞かせのお仕事をしているくるみちゃんが関わっている「時をつむぐ会」主催で、武井武雄絵本原画展をやっている。お嬢ちゃんと見に行ったところ、ちょうど松岡達英さんがいらしたとのことで、もう一人の大学院の友人の男の子とおそろいで、Tさんあてにサインと木々の下のバクたちのイラストを添えてくださった『ぼくのロボット恐竜探検』(松岡達英、福音館書店,1994.10)を贈ってくれた。とても素敵な筆致で感激。本当にありがとう!
 書影はこちら。自分では買わないタイプの恐竜絵本だけど、Tさん、気に入って既にずいぶん何度も持ってきている。なぜか「かいじゅうの本、よもうか」と言いながら。絵本は、ロボットと一緒にミヨちゃん、ケイちゃんの男の子・女の子が恐竜の時代を訪れるというもの。ティラノザウルスやプテラノドンなど私にもおなじみのものから、クェツァルコアトルスとかパキケファロサウルスなど読みながら舌をかみそうなものまでいろいろだ。Tさんが反応しているのは、そのまわりに地味にいるカニやチョウやカブトムシなどなのだけど、前にディズニーランドのアトラクションのリバーランド鉄道で見た恐竜の場面とも微妙に重なっているよう。最後は隕石が飛んできて大津波に飲まれてしまうのだが、この間の大津波にも重なって、恐竜という種(しゅ)への悲劇を思った。
 「ロボット」と「恐竜」の両方が楽しめてしまうお得な1冊。ロボットの書き込まれた内部図などは、作者の方が楽しんでらっしゃるのがよく伝わってくる。

 武井武雄絵本原画展の方は、1月29日から2月8日まで高崎シティギャラリーにて。時をつむぐ会 本との出会い講座も開かれていたのだが、くるみちゃんのお話は、もう終わってしまったのか。きっといい時間になったことでしょう。
 改めて、ありがとうございました。

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2005.01.27

いける本・いけない本

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「いける本・いけない本」 ムダの会 発行 2004年冬 1号.

書物とそれを取り巻く世界について忌憚なく自由に語ろうとの趣旨で、出版界の有志が集まって刊行したのがこの小雑誌です。爆笑、哄笑、苦笑、微笑、そして憫笑、何でも結構。ともかくお手にとってお読みいただければ幸いです。

いける本・いけない本 大アンケート/浅田晃之(柏書房) 金子靖(研究社) 上野明雄(小学館) 神谷竜介(NTT出版) 川口昌人(阪急コミュニケーションズ) 川村寛(小学館クリエイティブ) 小長洋子(東洋経済新社) 小林章夫(上智大学) 今野哲男(オフィス・あんだんて) 島田和俊(国書刊行会) 田中貴久(文藝春秋) 田中優子(河出書房新社) 中嶋廣(トランスビュー) 荻野靖乃(武蔵大学) 平本邦雄(共同通信社) 松澤隆(小学館クリエイティブ) 松下昌弘(新書館) 松本裕喜(三省堂) 三木哲夫(紀伊國屋書店新宿南店) 鷲尾賢也(講談社)
「アンケートに異論あり!」 中嶋廣
「本屋で買えない秘密の夫婦本」 K
「極私的<帝国>本 攻略法」 神谷竜介
「僕と本が生きる出版流通」 工藤秀之
「驚異のロングセラー 100刷オーバー本の世界」 松本裕喜
「物故者、この三冊」 鷲尾賢也
「書評の書評・アフターダーク」 松下昌弘
「ベストセラーの法則―読まずに書かれたブックレビュー」 野上暁

 ご高著を拝受した。32ページの小雑誌で、アンケートでは、いける本、ひどい本、ダメな本、よかった本を、いろんな出版社の編集者や新聞の文化部記者、書店の方たちが挙げている。ふふふふふっと笑えてしまう答えあり、率直でまさにナイショの話を聞くような楽しみもあり、あるいは、「無類の本好き」である皆さんの本への思いや、たとえば編集者としての本への関わり方が見えてくるものありで、楽しく読んだ。100刷以上の本は絵本のロングセラーやいわゆる文学古典が多いかと予想していたのだけど、意外に最近のベストセラーが入っていたりして、データを読むおもしろさがあった。402刷というびっくりな本は、これもびっくり『中学三年分の英語を三週間でマスターできる本』(飛鳥新車)だそうだ。
 「書評の書評―「アフターダーク」」(松下昌弘/新書館)の書評の斬り方や、「ベストセラーの法則―読まずに書かれるブックレビュー」(野上暁)の時事ネタもグー。作家や編集者だけでなく、値段、流通、読者、評者、様々なファクターが絡んでの<本の世界>が垣間見られて、とてもおもしろい。隔月のお酒の席「ムダの会」が見せたひとつの形ということで、次号も楽しみにしています!

非売品 メールはmudanokai@hotmail.com

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2005.01.14

身体で読むファンタジー

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『身体で読むファンタジー―フランケンシュタインからもののけ姫まで』 吉田純子編、人文書院、2004年12月

 ご高著を拝受した。
 身体性とファンタジーという形式との連関は、10年以上前から構想されていたそうで、テクスト同士のつながりも、男性性/女性性の捉え方も、実におもしろそうな論文・論考が6編。英文学、子どもの文学、アニメ。特に女性の身体は、どうテクスト化されているのだろう。

Ⅰ 「生む性」の悪夢と再生
◇フランケンシュタイン・コンプレックス (安部美香)
◇アースシーで自ら生まれ変わる (吉田純子)
Ⅱ モンストラス・フェミニン
◇ドラキュラと女たち――汚穢、そして「場」と解体 (細川祐子)
◇アンジェラ・カーターの怪物たち――破壊者から創造者へ (細川祐子)
Ⅲ 野生と文明のインターフェイス
◇もののけ姫の汚い、危険な身体 (吉田純子)
◇目ざめればチンパンジー (吉田純子)

と並ぶ。

男の空想(メイル・ファンタジー)が女の身体を描きつくすとき熟成した女の空想が自らの生を語りだす。 ファンタジーの作品において、ジェンダー化された身体の表象が描く、男/女の隠れた欲望、不安と夢。 (オビより)
       

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2005.01.05

鈴木出版の海外児童文学シリーズ 続き

 鈴木出版編集部の永吉さんにメールをいただいたので、許可を得て一部を引用。

このたびは、弊社刊行の海外児童文学シリーズを、貴HPにてお取り上げいただき、厚く御礼申し上げます。 本シリーズの刊行の意図をわかりやすくお書きいただき、これにまさる紹介はございません。御礼が遅くなりました。

創業50年の記念出版でしたので、昨年の夏に、取次・書店・出版社・著者の方々にヒアリングをいたしました。しかし、みなさん、1番本を読まない読者が対象である・テーマがシリアスで重い・ファンタジー以外は書店の棚では売れない等々、まったく歓迎ムードではありませんでした。

これを聞きまして、不安は募りつつも、ある確信がありました。

(中略)

本シリーズのような企画はどこの出版社も手をつける気配はありません。
しかし、読者の側にたてば、求める作品ではないのか。
いまだからこそ、本シリーズの出版意義はきっとある。
そう確信いたしました。

おかげさまで、再版がかかりました。
愛読者カードやお手紙やメールやFAXで、貴重なご意見をたくさん頂いております。ありがたいことです。

 再版がかかったのは、『ヒットラーのむすめ』『イクバルの闘い』両方ともとのこと。小学校高学年からヤングアダルト層を対象にした本に、ある種の重みが、軽やかさとエンターテインメトと同様に必要であることは、生きることへの肯定を児童文学が(一部にせよ)担うにあたって、忘れてはいけないことと思う。もちろん、そのバランスやストーリーの作り方にお国柄や作家の力量があらわれるもので、そこを「読む」おもしろさもある。
 出版社の意図どおりに受け入れられるかどうかはさておき、越境しあう読者層が、ジャンルを越境して、バラエティ豊かな本を受け取れる状況がのぞいているのは、うれしいことだ。私がずっとおもしろく読んできたリアリズム作品も広まりますように。

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2004.12.23

鈴木出版の海外児童文学シリーズ

 「この地球を生きる子どもたち」という副題のついた鈴木出版の海外児童文学シリーズの刊行が始まった。絵本を中心に出版してきた出版社が、10代の読者に向けて「なぜ人は生きているのか、生き抜かなければいけないのか。生きるということを真剣に考えて欲しい」と考えるきっかけになる本を手渡そうとしている。
 ファンタジーはすっかり定着したが、一方で、いわゆるリアリズムの作品の「考えさせる」おもしろさも、バラエティに富んでいってほしいから、こういう意欲的な企画は歓迎!

オーストラリアの作品:
『ヒットラーのむすめ』(ジャッキー・フレンチ作/さくまゆみこ訳、すずき出版、2004年12月8日)
Hitler's daughter, Jackie French, 1999.)

もし自分がヒットラーの子どもだったら、戦争を止められたのだろうか?

イタリアの作品:
『イクバルの闘い』(フランチェスコ・ダダモ/荒瀬ゆみこ訳、すずき出版、2004年12月8日)
Storia di Iqbal, Francesco D'Adamo, 2001.)

児童労働の現実に敢然と立ち向かった少年イクバル・マシーの感動の物語

 10代対象だが、小学校高学年くらいから読めそう。英語圏以外の国が多く取り上げられているのもおもしろく、声高に感動、生きる、といわずとも、きっと静かに何かを喚起させる力があるのではないか。

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2004.12.11

泳げ! 6号

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 押川理佐さん、丸谷仁美さんが発行されている文芸同人誌「泳げ!」の6号を読ませていただいた。

◇生活かかってまッセイ ―私と運転免許― 「仮免の告白」 ◇知の冒険者たち ~日本文学の暁闇をめざして~ 第7回 金原ひとみ氏に挑む ◇おひるねのときによむ おはなしシリーズ2 「ねこのいるほいくえん」 ◇連載小説 「デタリでお騒がせ」

 すましたところがなく、ものを書くことが好きの気持ちと、おこたのようなのんびりした感じが伝わってくる。教習所での免許取得話は、ひとの倍の時間とお金をかけて免許をとった私にとって、ものすごい親近感があるユーモラスなエッセイだった。私はたぶん、今も縦列駐車はできない。「ミラーを見て」といわれてミラーを見たけど、ミラーで何を見るのか分かっていなかった教習所時代だった。ま、それでもなんとか運転しているし、苦手意識があるぶん慎重というのは利点かも。利点か?
 さくらんぼほいくえんに「猫の手も借りたい」からやってきた新任の、猫のとらじまおれんじ・ひげひげまる先生の登場する幼年童話も、子どもレベルな素のねこがいい味を出している。

 購読希望は押川理佐さんまで。年に1~2回発行、送料込みで500円。

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2004.12.08

おわりの雪

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『おわりの雪』、ユベール・マンガレリ、田久保麻理訳、白水社、2004年11月。
La Derniere Neige, Hubert Mingarelli, 2000.

 新刊ご高著を頂戴した。マンガレリは1989年に児童文学作家としてデビューし、1999年に『静かに流れるみどりの川』で小説執筆を開始、『四人の兵士』で2003年度メディシス賞を受賞しているそう。ただし、児童文学として出版された初期の作品は、主人公が子どもであっても必ずしも児童文学の枠にはおさまりきらない、あるいは、現在の中・長編小説のスタイルや主題は、当初から変わらず、子ども時代やおとなとこどものかかわりにある――というあたりで、訳者がいうように「枠を越えた」ところに魅力があるといってよいのだろう。当然、世界的な「枠組みの流動化」の中に彼もいるわけだが、そこにフランスらしさがどうかかわってくるのか、これから読むのが楽しみ。

 父と子、死と記憶、季節のうつろい――メディシス賞受賞作家による胸にせまる小説
 「トビを買いたいと思ったのは、雪がたくさんふった年のことだ。そう、ぼくは、その鳥がどうしてもほしかった」
 (帯より)

 淡々とした寓話風のスタイルから、死期の近づいた父とトビが欲しい息子との関係が浮かび上がる。

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2004.11.07

真夜中の飛行

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『真夜中の飛行』 リタ・マーフィ、三辺律子訳、小峰書店、2004年8月。

 発売後数ヶ月が経ってしまいましたが・・・。
 メルマガではこのようにご紹介しました。酒井駒子さんの装丁が、本当にきれいです。
 アマゾンでは、YAとして、「飛ぶ女たち」という設定の妙が生かされていないという辛口意見も載っていますが、ありふれた3世代家族の葛藤とそこから羽ばたいていく若い少女、というin commonな物語であるからこそ、「飛ぶ」ことの皮膚感覚にあらわされるジョージアの怒りや大人の女性になることへの想いが具体性を帯びていたともいえますし、飛ぶことを特別視するのではなく、ほんとうに「ありそう」なリアリティとして捉えられることもまた、魅力なのではないでしょうか。

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2004.10.15

リンゴ畑のマーティン・ピピン

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『リンゴ畑のマーティン・ピピン』エリナー・ファージョン/石井桃子訳 岩波少年文庫。(Eleanor Farjeon, Martin Pippin in the Apple Orchard, 1921)
 ファージョンの名作が食・授業の課題本だったので、久しぶりの再読。伊達男のマーティン・ピピンって、そうか、こんな男だったっけ、と思いながら楽しく読んだ。『カンタベリ物語』の枠構造の影響の話を聞いて納得。遊び歌に、6人の乙女に、6人の彼氏、重なって、響きあう。後にみんなで踊るように遊ぶように出て行き、マーティン・ピピンは、「おい、それかい」とつっこみたくなるようなラスト。
 甘い乙女時代のひとこまを、リンゴ畑のかぐわしさに包んで作ったパイみたい。でもってそれを乗せる硬いお皿がロビン・ルーやジリアンの父親で、特に、何もかもお見通しのジリアン父に、微妙にファザコンも感じる。日々の仕事も何もほったらかしにして、つかの間の恋の夢を見る時間をたたえているような。そして、それを是認することが、ファージョンの求めるオトナの男像なのかな。
 川端先生がお持ちの原書の表紙は本当に美しくて、岩波のハードカバーも今出ている少年文庫版も、たしかに素敵なのだけど、なんというか素敵さが違う装丁だった。残念ながらファージョンは本国では今ではあまり読まれていない。熱狂的なファンや研究者がいるのは、むしろ日本のほうみたい。で、その原書ももはや絶版ということで、貴重な本を見せていただいた。
 発表者だったカンベさんは、ファージョンにまつわるイギリスの旅の写真をたくさん入れた楽しいレジュメを配ってくれた。また、イギリスの料理の本もたくさん。まわして見せていただいた中で、私が思わず見入って、レシピメモまで取ってしまったのは『イギリスのお話はおいしい。―すてきなティータイム』『イギリスのお話はおいしい。(続)』
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 この2冊は、白泉社でMOE連載のシリーズをまとめたもの。イギリス児童文学に出てくる料理のレシピだが、味付けなどはかなり日本人好みらしい。
 私がメモしたレシピは、栗とチキンのスープで、「バターで鶏もも肉とたまねぎを炒めたあと、スープとむき栗を加えて煮込み、塩コショウで味をととのえる」というもの。だんなさんいわく、「ルーを入れればシチュー」で、栗と鶏というのが新鮮な組み合わせだった。でも、そういえば、クリスマスの鶏料理でも、詰め物には栗を使うなあ。

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2004.09.26

英国レディになる方法

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『英国レディになる方法』 岩田託子・川端有子、河出書房新社、2004年9月

 ヴィクトリア朝時代のイギリスの女性と子どもの博物誌が見当たらないことをきっかけに作られた一冊。カラーの写真、絵、図版が多く、華やかかつ実用的かつ学術的である。著者二人がイギリスで実際に写真を撮り、美術館や博物館に取材し、オースティン、ブロンテ、ディケンズなどヴィクトリア朝時代の英文学、あるいは、キャロル、ピアス、ボストン、オールコットなどの児童文学の場面の引用をちりばめながら解説する。その時代を旅してきた人物のエッセイを読むような分かりやすさとユーモアがある。

chapter1 少女時代
chapter2 結婚式
chapter3 奥様家業
chapter4 子ども時代
chapter5 年中行事
chapter6 弔い

 女性の半生を追う章立ての中で、少女時代なら、「サンプラー」や「コルセット」や「舞踏会」、奥様家業なら「ティー・タイム」や「家政の手引書」などの項目がある。以前、ゴッデンの『人形の家』を原典で読んでいたとき、「サンプラー」は刺繍関係の事典で、「ドール・ハウス」は工芸や人形関係の事典でそれぞれ実物の写真を見せたが、本当は、これらは、同時代に並存していたものである。それを一度に紹介した本は、探してもなかなか見つからなかったので、その意味でも、貴重である。
 今はアンティークな品々が実際に使われていた時代。だが、当時の価値観や習俗は、21世紀の現代にも(日本にさえ)受け継がれていて、そのつながりが興味深い。インスタント食品は19世紀後半には既に家庭の主婦や料理人が便利に使っていたそうだ。――そういえば、赤毛のアンが「アビリルのあがない」を勝手に投稿されてショックを受けた話でも、ダイアナが応募したのはベーキングパウダーの懸賞小説だったが、これも、当世の流行だったというわけだ。
 イギリス文化を追う上でも、子どもと女性の生活史を追う上でも、もちろん、ただ楽しみのためにでも、おもしろい。
 髪を編んでつくるアクセサリー(想念がこもっていそう…)や、かわいらしすぎるおまるや、嫁入り支度セットの「トルソー」の中身など、異なる時代の、それでいて今に通じる「もの」がたりである。

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