良いお年を

年末年始、更新をお休みします。皆さま、どうぞ良いお年をお迎え下さい!

夏のreunionで強羅へ。一泊の温泉が実に楽しみです。箱根だと車になりがちですが、電車好きのTくんには意外とこっちでも楽しくいけるかも、とあれこれ考えながらの車中でした。登山鉄道がいい感じです。
1つ年をとりまして。今日は子どもたちと一緒でしたが、お出かけもなく、家にいて私は原稿書きとか。途中で図書館と公園に行ったら、眠くて寒かったTくんがものすごい癇癪状態になり、泣けました。彼の一本気は、いいほうに向くと大変よい子でしっかりしているのですが、いったんベクトルをたがえると大変なことになります。がんこっぷりは誰に似たのやら。私か?
夜は一応、昨日の残りのトライフルをもう1回作って(具はスポンジケーキとバナナと生クリーム。なんて素朴)、ろうそくを立て、2人が歌を歌ってくれました。こういうのはああ幸せだなあと思います。四捨五入すると…の年になり、あせることも多々ありますが、まあ、マイペースでがんばろう。あ、だんなさんからは、朝、お祝いをいただきました。ありがとうございました。
クリスマスの本当を伝えたくて、近くのカトリック教会の御ミサに行ってきました。Tくんは途中で寝てしまい、Tさんは「おもしろくなかった」と言っていましたが、私にとっては、飼い葉桶の意味に納得の神父様のお話も良かったし、Tさんには、なぜクリスマスおめでとうなのかが分かっただけでも、伺ってよかったです。信者でもないのにすみません。御ミサは、大学院の修了に感謝するミサに出て以来10年ぶり位でした。
朝から3時間焼いて冷ましておいた、今年は七面鳥にしました。小さいのでチキンと同じくらいのサイズです。去年まではチキンを串でさしてぐるぐるまわして焼いていたのですが、今年は天板に乗せて焼くだけなので簡単でした。しかも、もっと臭みがあって味がしないのかと覚悟していたのですが、あっさりした味わいでしかしぱさついてもいなくて、大成功。味が淡白なだけに、甘いソースとも、辛いラディッシュホースマスタードとも合って味のバリエーションが楽しめました。来年からもこちらでいきます。
Tさんの祖父母と私たちからの贈り物、それから、まさんからきれいなパズルもいただきました。ありがとうございました!Tさんはみんなにカードを配り、Tくんは「南の島のカメハメハ」をひとりで歌って、歌のプレゼントをしてくれました。
夜は、Tさん、Tくんから、サンタあてにメッセージ。Tさんには指輪、Tくんにはブリオの予定でしたが、以前のTさんの手紙によると、Tくんからサンタには、絵本がリクエストでした。よりサンタにコミットしているほうの願いをきいておこうと、急遽変更して、Tくんにはお正月にあげる予定だった絵本にしました。みかんはおいしくいただき、サンタからの手紙も書きまして。Tさん、Tくん、ありがとう。

クリスマスプレゼントいろいろが出揃いました。ネットとリアルで。子どもたちには、それぞれニットの帽子と、普段用ちょっといい服(TさんにはNEXTのセーター&スカート、Tくんにはマリクレールのカーデガン)と、よそいきフォーマル(Tさんにはワンピース、Tくんにはスーツ〔入園式もあるし〕)となりました。私もそういえば、子どものころは、クリスマスに新しい洋服を買ってもらって、それを晴れ着よろしくお正月におろすのが慣例でした。サンタはTさんに「きれいなゆびわ」、TくんにはBRIOののぞみ号です。幼稚園からは、贈り物に、天然石のセットをいただいてきました(去年は木のビーズセットでした)。先日、ナルニア国に行ったときに買ったダウンズの絵本と、機関車の絵本は、お年玉にしようかなと考えています。プレゼント天国だ。あっぷっぷ。
学生さんに以前、「絶対おもしろいからおすすめ」といわれていた作品でした。なるほど~ 次から次にどんでん返しにアクションの連続、いさましいお嬢さんの活躍や、美男美女の身分違いの恋愛と、裏切りに復讐心を燃やす海賊など、できすぎなところもありましたが、とにかく見所がたくさんでした。ディズニーの実写は好きな作品が多いです。エンターテイメントとしてはよくできていたし、当然、アトラクションのあの部分、などと思い浮かべるのもおもしろかったです。
それにしても、ジョニー・デップが素敵すぎです。あのイカレっぷりったら、元祖ジョン・シルヴァーを彷彿とさせて児童文学的にも楽しめました。ああいう、境界のあいだをゆらりゆらりとしながら、目的のものを手に入れるためにあらゆる策略をめぐらす分限紳士なわけですね。
次年度のことがほぼ決まり、教科書とか予習とか考えます。来年から行くC大学では、かなり自由に組み立てさせていただけるようなので、Readingの授業に児童文学も使おうと思っています。多読の教材に、絵本やGrader ReadersでいうところのEasy Startの本を選んでリストアップしてみたら楽しくて、夜更かしになりました。C大学では、プレゼンを中心にした授業も見学させていただき、私も勉強になりました。
今年よりもコマが増えるので、また家族会議が必要になるでしょう。今年度、週に1日、幼稚園のお迎えをお願いしているファミサポさんも、週に2日でお願いできるといいのですが。来年は幼稚園児が2人で、自転車三人乗りもマズイので、遠回りな電車通園になりそうです。
週末に大掃除の第一段をしました。悪い気を追い払うべく、使わない食器やグッズなどを捨て、普段は掃除しない場所を掃除という、大掃除の王道。机回りも整頓し、カフェカーテンを洗ったり、台所ではケーキボックスをやめて奥行きの狭い木の棚に変えてカウンターを幅広く使えるようにしたり。食材も年末に向けて徐々に一掃セールで、牛筋のストロガノフ生クリーム抜きを作りました。掃除していた4時間、ことこと煮ただけあって、絶品のできばえ。というか、このとろとろ具合は、逆に圧力鍋ではできないと思います。しかし、にんじんをスライスしていて、激しく怪我してしまいました。文字にするとコワくなってしまうので書きませんが、右手の親指にまったく力が入らず、不自由です(ばんそうこうレベルの怪我ですが)。人間って、親指でものを操っているんだなとしみじみです(涙)。
http://www.cinemablend.com/new/First-Where-The-Wild-Things-Are-Images-7158.html
Where the Wild Things Are の実写版ということで、スチールを見てびっくり。でも、かいじゅうたちの背中の微妙な哀愁はいい感じかもしれません。公開はいつなのでしょう。

ハンマードダルシマー奏者の天野十兵衛さんが、セカンドアルバムのジャケットにピース写真を募集してらしたので、TさんとTくんに「ねえ、2歳ってやって!」と撮ってみました。最近はけっこういっちょまえだけど、手を見ると、まだまだちいちゃいなあと思います。いろんなことを考えてしまいます。ダルシマーは、本当に美しい音色で、なんとなく、Tさんの通っている幼稚園に通じる雰囲気を感じます。

もっと、ジョディと小鹿の関係メインで、撃ち殺すせつなさがキーなのかと思っていたのですが、むしろ、母と息子の関係にフォーカスされているように思いました。一人っ子の息子で、しかもきょうだいが何人も亡くなっている開拓時代。だめだ、ジョディよりも、このお母さんのほうに感情移入してしまいました。思い通りにいかない人生に、家族ではなく自分の内面を見ていらつく感じ。しかし、鹿は、この場合の害獣だということを当然理解していたはずのお父さんやお母さんは、なぜ、鹿の生態と、考えられうる未来をジョディに話しておかなかったのでしょう。
MaやPaと呼ぶ音を初めて聞き、当然ローラも思い出しました。というより、もともと、作品自体が、大草原シリーズへの反論なのでしょう。とはいえ、映画なので、逆に今見ると、ずいぶん清潔でなまなましさに欠ける部分もあるような。ラストはやはり家族の物語に収束し、小鹿はむしろ人間にただただふりまわされたように思います。
Tさんは2歳のときの夢が「ペロペロキャンディー屋さん」。少し前まで「お菓子屋さん」だったのですが、先日、寝しなに「おかあさんにもなる。あと、幼稚園の先生も」と言っていました。典型的かもしれませんが、彼女の場合は、子どもと接するというより、「おにわがつくりたい」とか、わりに入れ物に目が向いているようなので、私と同じく、インテリアなど家のことを考えるのが好きなのかもしれません。
Tさんは「世代」というのをだんだん理解してきたようで、「今は、おばあちゃんがおばあちゃんで、でも、Tちゃんが子どもを生んだら、お母さんがおばあちゃんになるの」…で、「おかあさんになる」という発想が出たようです。「Tちゃんがお母さんになったら素敵だねえ」と思わず話しかけたのですが、5歳児から「子どもを生む」という言葉が出るとは思わず、おそらくは図鑑などで覚えた言い回しと思いますが。でも、子どもを生み育てるのは大変でとても素敵なこと。何十年か先に本当に彼女がお母さんになったら素敵だなあと思います。
Tさんのそばにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、互いにルールが違ったりします。おばあちゃんのところでは多少ふざけてごはんを食べてもいいとか、ビデオを見てもいいとか。甘いだけではもちろんなくて、私はやらない道路掃除とか、裏庭のミニ畑の世話とかにもかかわらせてくれていて、その辺は感謝です。コチコチに育児書育児だったときは、「ルールが違うと混乱する」と母にくってかかったこともありましたが、今思うと、いろいろ違うことをわーわー言う大人が複数いてよかったなと思います。ある場面では通用したことがこっちでは通用しない、同じ人でも、言い方が違うときがあったり、その場の関係性で変化したり。人間が生きていくっていうのはそういうことの連続なわけで、その中で、自分の頭で考えていくことが大事なのでしょう。でもって、それが、信頼できる人たちのあいだでかわされている、いい意味でのストレス(がないと人間、成長できません)であること。母が「どこにいっても価値観もルールも同じだなんて気持ち悪いじゃない」と言っていたのですが、たしかにそのとおりでした。まあ、私も成長中なわけです。私は、大きくなったら、何になろう。
解説も何も知らずに見たら、グリートがフェルメールに恋をしているのがよくわからず、あとで監督による音声解説を聞いて合点がいったしだいです。見る側は、てきぱきおとなしく働くグリートと、その心の中に燃える思いの差を読み取らなくてはならないのでしょう。なんでいつも口が半開きなんだろうとか、ちょっと前に流行のツンデレなメイドさんって…とか、不謹慎なことを思ってしまったりしたのですが。
とはいえ、まさに絵画を思わせる陰影、ブリューゲル的というなるほど!な居酒屋の退廃感、淡い光とグリートの白い美しさ、理知的な目、フェルメールの妻の狂気や娘の嫉妬、労働者の庶民と、お金はないにしても使用人を使える階級の事情の違いなどなど見所がたくさんあって、1枚の絵にこめられた物語を堪能できました。
こんな授業ができたら、教師冥利に尽きるよなあということと、同じ教授計画を持っていても、結局、何を教えるか以上にどのように教えるかが重要であって…これって児童文学と同じ、と思ってしまいました。日記をちゃんと書いて、見てもらいたい気持ちをもつみんな。これは、ああ、十代ゆえか、でも、私も授業でジャーナルを書きましたが、そんな自分の大切なことはさらけださなかったけど。
仕事にのめりこむと、やはり、相方に「私と仕事とどっちがだいじなのっ」とかいわれちゃうのか…。んー、実話だからなのでしょうけれど、ここで、もっと先行くだったら、本当にミス・Gとしての仕事をサポートする夫でいてほしかった。よい仕事をするのは家庭がおろそかに、というメッセージは本意ではないと思うのです。
あまりにも何も知らないゆえに、ホロコーストの授業で、新鮮な驚きを持ち、そして、自分の現在とリアルに引き比べてみることができる。生徒たちの心のありように気づいたとき、舵を切り、変わったのはエリン先生のほうだったと思います。家族のようなまとまりを得れば、授業は何をやっても成功していくでしょう。結局、育てられたのは先生であることも、なんだかうらやましいです。
先日、Tさんの年少児のときのクラスのお友達でクリスマス会をしました。なりゆきで幹事を引き受け、企画から実行まで二人でなかなかハードでしたが、良い会になってよかったと思います。マンションの集会室を借りての会でしたが、男の子たちはとじこめられるのがいやで外に出たり。でも、自由になれば仲良く遊べて、人間、スペースが必要だなと思いました。
歌で会を始め、取り寄せのお弁当でランチプレートを作り、みんな同じものをいただきました。そのあと、外や中で遊び、エプロンをつけてもらって、クリスマス風トライフルづくり。神妙にみんな思い思いのケーキ(風)をつくり、おいしくいただきました。子ども料理の本に載っていたものを参考に、角切りのスポンジケーキといちごとブルーベリーとクリームを用意して、好きなように盛り付けてもらうだけでしたが、おいしかったです。食べた後はまた遊び、最後に、少し私がお話をして、プレゼントを配りました。午前中に来られるママで作った、フェルトのミニ靴下とクリスマスバージョンのロータスクッキー、差し入れのサンタのお菓子のセットでした。
私は、本当は『クリスマスおめでとう』を読みたかったのですが、近くの図書館が特別整理期間でお休み……目当てにしていた絵本が借りられなかったのが残念でした。クリスマスははしゃいでお祝いしてサンタを待つ日、というよりは、2000年前にイエス様という小さな赤ちゃんが生まれた日で、それをみんなが喜んでお祝いをする日であること、また、贈り物の心も。
Tくんも、下の子ならではのたくましさで、お兄ちゃんおねえちゃんの中で上手に遊んでもらいに行き、お手伝いもしてくれたし、上出来。Tさんも、「みんなで鬼ごっこしたのが楽しかった」そうで、クリスマス会のいくばくかでも、心に残るといいなあと思う母でした。
いい映画でした。流れ的に時々つっかえる部分があるのですが、そのつっかえのところで、私が日本人であるゆえに、それ以上のものを感じ取れてしまうというか。日系人収容所の作品をいくつか読んで、イメージしたところとあまり変わりはないあたり、映画自体が児童文学的な要素を持っているのかもしれません。ケイティを白人の美人にしたところに記号化の意図が感じられますが、でも、作品の人物それぞれは、なんとなく記号っぽかった。その中で、看守の軍曹が一番、キャラクターとして厚みがあったように思いますし、それが、「アメリカン・パスタイム」の意味にも通じるのでしょう。
日系人の扱われ方などは、空想を要しました。自国民(しかもドイツ系もイタリア系にもしなかったけれど日系にのみの差別)を捕虜収容所に強制収監したのはアメリカの汚点ですが、しかし、その待遇のリアルなつらさが微妙に伝わりきらなかったような気もします。でも、そうすると1世の苦労話からはじめないといけないから、2時間では収まりきりませんね。中村雅俊は、なんか、素敵なミドルエイジでした。
先日、銀座に行ったついでにナルニア国に行きました。例年のドイツのクリスマス市がなくて「なーんだ」とさびしかったのですが、行ってみるとエレンカイムでの、宗教性あふれる本当のクリスマスグッズのコーナーも良かったし、ダウンズの原画展もよかったし(Tさんに『ゆめみる天使たち』を、サンタから用に購入。Tくんには機関車の復刻絵本を買いました)、6階から1階まで順番に降りていくスタンプラリーで、教文館特製銀座マップ(300円)のクリスマスプレゼントをもらったり、もちろん、ナルニア国でコーナーになっているクリスマス絵本のいずれも素敵で、行ってよかったなあと思いました。こういう宗教的なお店のクリスマスを見ていると、クリスマスというのは、その宗教的な意味ではなく、その行事に心を傾ける「人」の気持ちに感動するのだなと思います。
親になり、サンタクロースができるのは幸い。Tさんの希望は今のところ、指輪(以前に末吉さんのお宅のフリーマーケットで頂いたなぞのアクセサリを指輪にして遊んでいたのですが、小さいゆえになくしてしまい、また、もともとはイヤリングのかたっぽのような形状でした。で、お願いしているのが「指輪」。あら、お母さんもほしいわ、なんて)です。Tくんはなんだかよく分かっていませんが「ぼくはえほんがほしい」とのことで、お安い御用。気ぜわしいばかりでなく、ちょっとしたスパイスを楽しまなきゃなー、…と言っている時点で、せいてばかりなのですが。
先週の土曜日、同人誌『鬼が島通信』の25周年/50号記念パーティー@銀座に出席してきました。たくさんの作品が『鬼が島通信』で連載され、本になり、賞をとったものも多数あり。ゆるやかに変化しつつも、この「場」を続けてこられた同人の皆さんをただただ尊敬するばかり。毎号、楽しく読ませていただいて(アンケートも光栄なことに書かせていただいて)います。パーティーは大変なにぎわいでした。節目のときに開催されるそうですが、私は初めてでドキドキでした。でも、お久しぶりの方にお会いしたり、はじめましての方にお会いしたり、通信の創刊号を拝見したり、あっという間の2時間でした。皆様、おめでとうございました!
マスコミ試写で1月26日公開の「ビー・ムービー」を見ました。ミツバチのいかにも楽しげな世界や人間との友人関係が楽しめました。リアリティに欠けるところで、それを物語として飲み込むかがポイントになりそうです。beeの音を使った言葉遊びや、(私は詳しくありませんが)アメリカのテレビ番組や俳優のパロディが笑えるところだと思います。結局、養蜂のハチたちは、自分たちに納得したということでいいのでしょうか。残酷な麻酔銃は使わないことになったのかな。飼われたハチと野生のハチのあいだに溝はなかったのか、養蜂ならフェイクの巣でもいいのか、そこが気になりました。蜂蜜味は好きです。ハチさん、ありがとう。受粉もありがとう。