『エンピツは魔法の杖 物語・詩・手紙…ニューヨークの子どもたちに「書くこと」を教えた作家の奇跡のような3年間』サム・スウォープ/金利光訳、あすなろ書房、2005年6月
副題の通り、子どもの本の作家であるサムさんが、「教師と作家の協同作業」という機関の依頼を受けて、ニューヨーク・クイーンズの公立小学校の3年生のクラスに入るところからドキュメントが始まる。
当初、10日間の予定だったクリエイティブ・ライティングのプログラムは、子どもたちとのふれあいにのめりこんでいったサムさんの意思で、ボランティアの形で3年間も続き、サムさんがそのクラスの子どもたちの卒業を見届けることでプログラムは終わる。そのかん、彼は、生徒の進路に心を砕き、校長に交渉して、使われていなかった小部屋を自分の職員室に整頓する。生徒の父母にも会い、生徒たちを自宅に招く。
サムさんは、子どもたちにメタファーを教え、協同作業でもって忍耐強く子どもの着想にストーリーラインを与え、宿題を出し、詩を学ぶ。1年目は「箱」、2年目は「島」、3年目は「木」というプロジェクトを考え、それに添って、ものを観察して書く方法やおはなしを広げていく方法を学ばせる。6年生の「ツリー・プロジェクト」は、子どもたちが、それぞれに木を養子にし、木に語りかける形で詩や散文を書くものだ。木の理科的な勉強をし、セントラルパークに出かけて観察したり葉っぱを拾ったりしながら、子どもたちはネイチャー・ライティングを試みる。
教室や公園での子どもたちの一瞬の情景を見逃さないのが作家の目であり、気乗りのしない子どもとコラボレーションして物語づくりに導いていくのは教師としての手腕だろう。その冷静さは裏を返せば楽しいユーモアにもつながる。
この本の何より読ませるところは、この3年間の「奇跡」がプロジェクトXのような成功譚になっていないことだ。授業の準備に没頭し計画を立てても、思うような反応を引き出せないこともある。すべての生徒に好かれたいという危険な誘惑に陥りそうになることもある。実際の担任の先生のキャラクターによって、授業の重みが変わってしまう試練の時もある。傷つく言葉を投げつけられることもあれば、子どもたちに飽きられることもある。宿題もやってこないことも日常茶飯事だ。3年生当初の28人のクラスは出身国が21カ国、母国語は11にもなり、移民の親世代は貧しくて子どもの勉強にまで心を砕くことができなかったり、英語を話せなかったりする。先生と親の仲立ちにすらなる子どもたちは、家族や暮らしの問題も抱え込み、それが暴力的に出る場合もある。作文に身が入らないことも多々ある。
宗教の教えと現実とのはざまで悩む子ども、両親の不仲に傷つく子ども。彼らに対して無力でもあるということを、サムさんは冷静にありのままにとらえている。
だけど、だからこそ、ことばと書くべき対象と書き手の心とが合致した幸福な瞬間には、子どもたちの書いた文章が読み手にしみじみ響くものになる。I Am a Pencilという本書の原題は、クラスが4年生に進級したとき、ジェシカという賢い少女が「自分のメタファー」として書いた詩の一部である。「わたしはエンピツ/わたしの暮らしを/書くじゅんびができている」(p.149)(I am a pecil / ready to write / my life.)lifeはこれからの人生も意味するだろう。エンピツになった子どもたちが、少なくともその瞬間、創作・作文を通じて、自分と世界をつなぐという困難にとりくんだこと、3年間という線ではなく、その瞬間、瞬間の点がいかに珠玉のものでありえたかが、いくつかもの詩や作文から感じ取れる。
両親の不仲に苦しんだ6年生のミゲルが、両親が仲直りして再び教会で誓約するというときに四苦八苦しながら書いた祝婚歌には重みがある(そして「後書き」でのその後にも)。
ぼくはママを
パパにわたします。
風が種を
土に戻すように。
ママのヴェールが
ママの顔をおおいます。
種をおおうのはなんでしょう?
種をおおうヴェールは
固い殻
その下にかくされているのは
木の美しさです。
ママとパパは
二人でひとつです。
種と殻は
二つでひとつです。
ぼくのママと種は
花よめ。
ぼくのパパと湿った土は
花むこ。
ママとパパと土と種……
新しい実がなって
それがまた新しい実をつけて
いのちが続いていくのです!
(p.367-368)
この3年間を通じて、悲喜あわせてすばらしい経験を得たのはサムさんの方だとサムさんは言う。だけど、誰か大人が少なくとも一生懸命自分に関わったことを、どこかで感じ取り、ツリー・プロジェクトの最後にできあがった「ツリー・ブック」を抱きしめられたことが、もちろん、子どもにとっても、そのときいつか、振り返ったときに何かの力になることが思われる。
また、最後の方に一瞬だけ出てくる、バンド指導のミスター・フォルティとサムさんとの出会いから、子どもたちの生活が様々な要素がパッチワークされていることにも気づかされる。そのときのサムさんと同様、スジュンのもうひとつの顔を知れて、私もショックを受け、そして嬉しかった。
個人的なことだが、サムさんとはあるMLでのやりとりを経て、この本が翻訳出版されたことを受けての来日のときにお目にかかることができた。気安く、あたたかく、いたずらっぽく、いろんなお話をしてくださり、私のことも聞いてくださった。本書の中で生徒に「自分を喩えるのに、花や星のようなセンチなものは嫌いだ」と言っているように、ものを書くことへの敬意にも似た冷静さがあり、しかし、その語り口は穏やかで、お客様なのに私たちの方がもてなされたような気持ちになった。